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英語力

 恥ずかしい話だが、英語が全く駄目で、会話はもちろん、読むのも書くのも中学生レベルから進歩しない。そのせいか、海外旅行もアメリカには足を踏み入れたことがない。母親が戦争中に英語の力がちゃんとつかないまま女子大の英文科を卒業したのを悔やんでいて、小学校6年から私を英会話教室に通わせたりした(大変な教育ママだったわけだ)ので、中学生時代までは一応成績も良かったのだが、高校に入ったとたんにおかしくなった。
当時の都立戸山高校は1学年400人(男300、女100)で、毎年100人以上の東大合格者(うち現役は30〜40人)を出す受験校だったが、特に授業のやり方が優れていたわけではない。生徒のレベルが高いことを前提に、本人が家でちゃんと予習復習をやっていれば必ず授業についてこられると教師は考えてマイペースで授業を進める。だから、落ちこぼれたら自分で解決しない限り追いつけなくなってしまうのだ。私は英語の予習復習でつまずき、1年の途中からついていけなくなり、以来、英語コンプレックスに取り付かれてしまった。大学入試だけは、一発勝負に強いところがあるのか、英語が奇跡的に半分以上できたので合格したが、担任だった英語の教師に「奇跡ですね」と言われたほどの劣等性だった。そして、入学後は英語で落第し、点数を聞きに行ったら「零点近いですよ」という返事。化けの皮はすぐはげたわけだ。
だから、外国人と話すのは今も全く苦手。一度テープレッスンのようなものに取り組んだが、長続きしなかった。妻も上智大卒という割には大したことはないが、私よりはまだマシで、私は妻が一緒でないととても外国旅行は無理だ。今年が姉妹都市40周年の米ベーカーズフィールド市へは、就任直後で多忙のため行かなくてすんだが、来年提携30周年となるカナダ・リッチモンド市には行かざるを得ない雰囲気で「さあ困った」。


ほとんど言葉が通じないのに、ドイツ人留学生を次々預かったので、一時期は2組重なっていたこともある=左から私とセディー、エリザベス、彼女を訪ねてドイツから旅行してきたBFのマルコス、マリア、娘と一緒にドイツにホームステイしたシン、その後ろが娘みさと(1998年夏)

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