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警視庁

 毎日新聞社で1997年7月から2000年3月まで、社長室というところにいた。社長室というと、秘書室のような役割を想像するが、毎日新聞社の場合は社長直属のスタッフということで、経営計画立案と広報や役員会関係資料作成、そして「全社にまたがるテーマの調整」が業務だった。その社長室で、教頭昇格を間近にした学校の先生や司法修習生の社会研修を引き受けていて、私は付き添いとして両方の研修に計4回付き合った。 大体3日間の日程で、主筆とか編集局長といった編集の最高幹部に、毎日新聞社の新聞作りの基本姿勢について話してもらい、広告、販売などのセクションの実務責任者から苦労話やエピソードを聞く。さらにその日の夕刊を見ながら、その編集責任者の当番編集局次長や編集制作総センターの編集部長から、なぜこの記事を大きく扱ったか、他社の紙面と比べどういう特徴があるのかといった説明を受ける。話を聞くばかりでもつまらないので、社内見学として夕刊の編集会議から、実際に送られてきた記事がコンピューター画面で編集され、各ページがフィルム、刷版となって輪転機で印刷、梱包されてトラックに乗るまでの流れを見てもらう。さらに、記者たちの取材拠点である首相官邸、警視庁、財務省や日銀などに出かけ、記者室だけではなく、建物全体の見学もさせてもらう。  ある年、警視庁に学校の先生たちを連れて行って見学案内の部屋に入ったら、引率の広報担当らしい美人婦警さんが真面目な顔で「それでは皆さん、ご案内いたします。お荷物はこちらに置いて行かれて結構ですが、貴重品はお持ちください」。実はジョークのつもりだったのかもしれないが、みんな疑問も持たず、慌てて貴重品を身につけていた。 天下の警視庁もあまり信用されていないらしい。

<2002年最後の惰学記となった。ご愛読に感謝し、「皆様良いお年を」で結びたい>


学校の先生を引率しての警視庁見学。後列左から3人目が私、右から3人目が問題の?婦警さんらしい

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