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濡れ手でアワ

 今から15年前のリクルート事件、3月に一審判決が出るまですっかり忘れていた方も多いのではないか。当時のリクルート会長が、子会社であるリクルートコスモスの未公開株を政治家や官僚などに安値でばら撒き、公開時の値上がりが確実だとして賄賂と判断された事件だ。1988年夏、昭和天皇が重態に陥る少し前に発覚、天皇逝去、大喪の礼、消費税スタート、天安門事件など大事件を経て翌年5月、竹下首相が辞任するまで騒ぎは続いた。この事件のとき、盛んに使われたのが「濡れ手でアワ」という言葉である。
 アワは穀物の粟、濡れた手で粟をつかむと、つかんだ量以上に粟粒がくっついてくるところから、何の苦労もしないで多くの利益を得るたとえ、と故事ことわざ辞典(三省堂)には書いてある。ところが、リクルート事件の時まで私は、濡れ手との連想から、アワを「泡」のことだと思い込んでいたのである。
 こんな勘違い、私は結構多い。「夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か」を「追われて見たのは」と聞き、怖い歌だと思っていたとか、「ふるさと」の「兎追いしかの山」を「うさぎ美味し」と覚えた人は多いはずだ。私は「かたたたき」の「真っ赤なケシが笑ってる」を「真っ赤な景色が」と思ってていたし、卒業式の定番「仰げば尊し」の「今こそ別れめ」は、古文で習う「こそ」の係り結びで、あとの「別れむ」が「已然形」の「別れめ」になったということが分からず、「分かれ目」だと長い間思っていた。「情けは人のためならず」は、情けを人にかけるのは、その人のためになるだけではなく、いつか自分によい報いが返ってくるものだという意味だが、「情けをかけるとその人のためにならないので、かけないほうがよい」という意味だと思っている人が意外に多い。
 和歌山市に粟という地名がある。もちろん泡ではないが、私は最初「阿波」だと思った。



  
<上>「濡れ手で泡」ではありません
<下左>紀ノ川北岸の和歌山市粟を通る県道の標識
<下右>は4月に開通した国道26号和歌山北バイパス上の「粟」の案内標識


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