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地方

 「地方」という言葉が嫌いだ。東京の人は気軽に「地方」と言いたがるが、そもそも「地方」というのは、「首都でないところ、田舎」という意味で、反対語はもちろん「中央」である。「中央と地方」「中央官庁と地方自治体」「国家公務員と地方公務員」といった区分けを見ても、やや差別的ニュアンスを含んだ言葉のように思える。旧軍隊が、軍以外の一般社会のことを「地方」と呼んでいたことが象徴的だ。
 新聞社時代も「地方支局」という言葉が気になった。記者はあまり使わないが、「地方」で勤務することがない総務関係や制作、輸送、技術、広告などの社員は普通に使っていた。新聞記者の場合、駆け出し時代に必ず支局を経験するが、そこから本社に転勤することを「上がる」という。逆に本社から支局へ転勤になると、陰で「飛ばされた」と言われるのだから、「地方勤務」が低く見られているのは間違いない。毎日新聞や読売では支局を管轄する部は「地方部」だが、朝日は「通信部」と呼ぶ。毎日新聞は地方勤務専門の「地方記者」を一時期採用していたが、すぐやめてしまったし、地域ニュースの面の呼び名を「地方版」から「地域面」に変えた。これらも、地方という言葉への抵抗感の表れだろう。
 最近よく出てくるのは「地方分権」という言葉で、これは珍しく反対語の「中央集権」よりイメージが良い言葉だが、掛け声倒れで実態が伴っていない。中央省庁(特に財務省)が実権を握ったまま、国にお金がないせいもあって財源委譲せず、仕事だけを自治体に振ってツケを地方に回し、地方分権推進に水を差すようなことをするからだが、こういうときに必ず出るのが「地方(自治体)にはそれだけの能力がない」とか「地方に任せるととんでもないことに使われる」といった偏見たっぷりの言い訳である。
 まず「地方」という言葉を変えないと、「地方の時代」は永遠に来ないかもしれない。





「国」の機関には「地方」という言葉が氾濫している
(上左から和歌山地方裁判所、和歌山地方検察庁、下左から和歌山地方法務局などが入る和歌山地方合同庁舎、和歌山地方気象台)

 

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