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千里を照らす

 「一隅を照らす」は父の座右の銘で、知事在任中は色紙を出されると好んで「照于一隅」と書いていた。和歌山に帰ってきてから、何軒ものお宅で「お父さんに書いてもろたんや」と色紙、額などを見せていただき、長く持っていてくださったことに感激したものだった。
この言葉は、最澄の「山家学生式」の一節「径寸十枚非是国宝 照千一隅此則国宝」が原典で、かつては「照于一隅此則国宝」と読んで<一隅を照らす(人こそが)これ即ち国の宝なり>という意味だとされていた。しかし、今から30年近く前に、和歌山市出身で古代仏教が専門の薗田香融・関西大名誉教授が、原典は字から見て「照千一隅」だということ、この言葉は戦国時代の斉の威王が、隣国の魏の王の「自分は宝として直径1寸の球を十個持っていて、この玉で24台の車の前後が照らせる」という自慢話を聞き、「私は玉は持っていないが優れた武将を持っている。彼らは国の一隅を守り(守一隅)敵を寄せつけず、国内の治安もうまくいっている。千里(国全体)の広い範囲を照らしている(照千里)。この人材こそが私の宝だ」と言ったという故事に基づくことを明らかにした。
従って「照千一隅」は「一隅を守るは千里を照らすなり」という意味で、すべての人がそれぞれの分野で全力を尽くして生きて行くこと(守一隅)が、結局は国全体を照らすこと(照千里)になるという考えを示したものだというのが今の学界の定説なのだそうだ。父も昭和48年の講演の中で「世の中に生きている一人一人が、自分の立場で少しでも周囲を明るくしていくと言うのが本当の意味です」と語っている。
このことを私は知っていたので、選挙の時、座右の銘を「一隅を照らす」と言わなかったのだが、初めの後援会入会案内などには、断りなく「一隅を照らす」を私の座右の銘としたものがあった。もちろんどちらの意味でも、素晴らしい教えには違いないが……。




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(上)父が書いた「照于一隅」の額

(下)最澄自筆の山家学生式の一部。
左から2行目の下に「照千一隅」とはっきり書かれている
=2000年8月18日の毎日新聞夕刊から
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