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三之公

 奈良県川上村は、千本桜と南朝遺跡で有名な吉野町に隣接する森林とダムの村である。その川上村の紀ノ川・吉野川源流付近に「三之公(さんのこ)」という地名がある。源流の川はこの辺りでは「三之公川」と呼ばれ、樹林の中を澄み切った冷たい清流が流れている。
 三之公とは変わった地名だが、由来は「後南朝」の時代にさかのぼる。後南朝といってもピンと来ない人が多いので説明すると、南北朝時代は、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が、1336年に足利尊氏に敗れて吉野に逃れ、足利氏が京都に立てた北朝に対抗して南朝を開いたのに始まり、1392年、3代将軍義満の時に、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を渡して終わる。ここまでは歴史で習うが、実は両朝合体時には、後小松天皇の次は南朝から天皇を出し、以後交互に皇位を継承する約束になっていた。が、こういう約束が守られた験しはなく、後小松天皇の次は、その子の称光天皇が即位した。怒った旧南朝の後亀山天皇らが再び吉野に移り、南朝を「再興」した。これが後南朝である。
 後南朝は曲折を経て追い詰められていくが、後亀山天皇の曾孫に当たる尊義王とその子尊秀王(自天王)、忠義王の3人は川上村の山奥に居を構え、最後まで抵抗したという。当時の村人はこの3人を「三之公(皇)」と呼んで敬い、これが地名となったと伝えられる。
 三之公に行ったのは、紀ノ川河口の和歌山市と水源地の川上村が水資源保護のための協定を結ぶことになったためだ。水源近く森の一角を「和歌山市民の森」として育てるため、調印式前日の昨年7月31日に候補地を歩き、真夏にもかかわらず爽やかな風を満喫した。
 和歌山市は紀ノ川の豊かな水の恵みでできた平野に築かれた「水と緑と歴史のまち」である。美しい水を守るため、小学校同士の交流やNPOや市民団体の連携も進んでいる。
こうした交流をさらに定着させたい。ということで、今回は真面目な話に終始した。

  


紀ノ川の源流である三之公川の清流

三之公の最奥、カクシ平というところにある「三之公行宮跡」の石碑(いずれも奈良県川上村)

保水機能を持つ周囲の山も手入れが行き届かず
荒れている
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