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ゴレンジャー

 自らを漫画家ではなく「萬画家」と称した石ノ森章太郎さん(1938〜98)の代表作といえば「サイボーグ009」「仮面ライダー」「ホテル」だろうが、私は個人的な理由で「秘密戦隊ゴレンジャー」が印象に残っている。1975年4月、特撮ドラマスタートと同時に「少年サンデー」に連載されたこの作品は、少年漫画としては他の石ノ森作品のようにはヒットせず、作者自らが作ったパロディ版「秘密戦隊ゴレンジャーごっこ」にとって変わられ、翌年2月には打ち切りとなったが、特撮ドラマの方は人気があり、第1シリーズが2年続いた後、原作者が「八手三郎(ヤッテミロ)」氏に変わって延々とシリーズ化され、現在も「特捜戦隊デカレンジャー」という「戦隊モノ」が放映中だ。
 第1シリーズの「秘密戦隊ゴレンジャー」が放映中の1976年は、山下家の5つ子が生まれた年でもあったが、当時、大阪・貝塚市の我が家にポコというメスのダックスフントがいて、和歌山の母の家にいた老犬ぺチャ(当時11歳ぐらいのスタンダードダックス)との間に5つ子を産んだ。奈良に住んでいた時は3匹の金魚を飼っていて「百恵、淳子、昌子」と名付けていたミーハーの私は、たまたまオス4匹、メス1匹だった子犬たちをゴレンジャーになぞらえて「アカレンジャー、キレンジャー、ミドレンジャー、アオレンジャー、モモレンジャー」と命名、それぞれの色のリボンを首に巻いて区別をつけていた。
 5匹はその後、「ゴンザブロー」「クマゴロー」「ハッキー」「リキマル」「ピンキー」という正式名称を得て、うち3匹は養子にいったが、母のところに「リキマル」、まだ子供が生まれていなかった我々夫婦の下に「ピンキー」が残った。「リキマル」と他の3匹は薄幸で、天寿をまっとう出来なかったが、我が家に残った「ピンキー」は17歳まで元気に生きた。だが、そのピンキーも子宮蓄膿症で子が生めなくなり、いま子孫は誰も残っていない。

  

生まれたばかりの「ゴレンジャー」。母犬ポコのお乳を吸う姿も可愛い
  
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