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九段

 
  将棋は下手で、今まで誰かと指して勝ったことがない。だがスポーツと同じく観戦は好きだから、NHK杯の将棋対局を前は毎週見ていた。大山、升田、中原、米長、内藤、谷川、羽生といった錚々たるプロ棋士や観戦記者の書いた裏話のような本も随分読んだ。その中で、酒で命を縮め、1987年に52歳で他界した故芹澤博文九段の「八段の上 九段の下」(講談社)というエッセイの題名が印象に残っている。山城新伍司会のTVバラエティー「アイ・アイゲーム」や「野風僧」という歌でも活躍した芹澤九段は文才も豊かだった。彼が47歳で九段に昇段した時の面映さを綴ったのが「八段の上 九段の下」である。
 元々将棋界の最高段位は八段で、九段を名乗れるのは名人経験者だけだった。このため将棋九段は大山、塚田、升田の3人だけという時代が長く続き、「囲碁には大勢の九段がいるのに」という不満が強まり、73年にポイント制(タイトル3点、他棋戦優勝、タイトル挑戦、A級在位1年各1点で計30点以上)の昇段規定が設けられ、さらに84年に「名人以外のタイトル3回獲得か八段昇段後250勝以上で昇段」と改定された。この時、芹澤九段ら多数の九段が誕生した。天才と言われながら酒で伸び悩み、タイトルと縁のないまま九段になったことに多少の気恥ずかしさがあった芹澤九段は「自分は九段と言われるほどのものではないが、並の八段よりは上かな」という思いを題名にしたのである。
 もちろん「九段の下」は、地下鉄の駅名でもある地名「九段下」を意識した言葉。東京は坂の多い町で、九段下から靖国神社までは九段坂という急な坂である。江戸の古地図にはこの辺りに階段らしき9本の線が入っている。「もち歩き江戸東京散歩」(人文社)によると、坂に沿って長屋が9段に並んでいたので、九段と呼ばれたという。江戸城北の丸のすぐ外なので、今でいえば公務員住宅のような下級武士の団地があったのだろう。


サクラの季節の九段坂は人通りも多い東京の名所である

芹沢九段の「八段の上 九段の下」(中央)など私の将棋関係の蔵書の数々
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