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尾張名古屋

現場から記事を送る時、昔は電話で、「イロハのい」とか「ブックの本」とか説明しながら送っていたという話は前に書いた。そういう時の「を」は必ず「尾張のを」である。昔の仮名遣いでは「尾張」と「終わり」は、どちらも「ヲハリ」だったため、50音の終わりと、尾張を引っ掛けてこのように言うようになったらしい。で、尾張といえば名古屋である。
 1990年7月から92年8月まで2年1ヵ月余り名古屋の整理部デスクとして単身赴任していた。名物の櫃まぶし、味噌煮込み、味噌カツ、そしてエビフリャー。みんな懐かしい思い出があるが、駅地下の高級感のあるパン屋さんにエビフライをはさんだホットドッグがあったのには驚いた。ああいうメニューには名古屋でしかお目にかかれないはずだ。
 単身赴任だから必然的に飲む機会は増える。何しろ栄の飲み屋街から徒歩5分ぐらいのところに住んでいたので、家に帰ってメシを食ってから再度繰り出すことも多く、東京では行けないような女性が何人もいる店も、大して高くないので随分行った。入社1〜3年の若手独身記者も多かったので、住まいから近かった栄の女子大小路といわれる飲み屋街に連れて行くことが多く、この期間に「カラオケ病」も進行した。宴席を先に抜ける時「ご無礼します」というのが名古屋弁だが、他の客が次々「ご無礼」するまで若い人たちと歌い続けたことが度々あった。そうかと思うと同期のデスク仲間と2人で出かけて、曲名本の「あ」から「わ」まで1曲ずつ交代で44曲を一晩で歌ったこともあった。アホである。
 当時一緒に飲んだ駆け出し記者も、今ではデスククラスとなり、国内外で活躍している。そして今や名古屋駅前は44階建てのツインタワーが建ち、激変。古かった毎日新聞社のビルも隣の豊田ビルと一緒に、2007年完成を目指して超高層への建て替えが始まっていて、社屋は別のところに引っ越してしまった。もはや遠い思い出の名古屋時代だ。

  


毎日新聞中部本社が入っていた懐かしの名古屋毎日会館ビル。
もちろん今や跡形もない

名古屋駅前をすっかり変えた
44階建てツインタワー
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