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三十六見附

 見附は読んで字のごとく「見つける」ことで、そこから「見張る」という意味が派生し、不審なものが侵入しないよう見張る場所、即ち監視所を見附と呼ぶようになったようだ。
 現在の皇居である江戸城は、15世紀、室町時代に太田道灌が江戸湾付近に建てた平城で、攻められやすい弱点を持っていた。江戸に幕府が開かれたころは、徳川政権の基盤も不安定だったので、江戸城は敵襲に備えて大改修され、渦巻状に堀をめぐらして「難攻不落の城」に変える努力が行われた。「堀に面した城門」には「枡形」と呼ばれる長方形の小さな広場が設けられ、そこを通らないと城内に入れなくして、枡形に入る不審者を監視する仕組みになっていた。この「枡形のある、堀に面した城門」を見附と呼んだのである。
その見附が江戸城には36ヵ所あるとされ、俗に「江戸城三十六見附」と呼ばれているのだが、実は本当に36だったかどうかは江戸に関する本を読んでもはっきりしない。大江戸八百八町と同じで、単に「たくさん」という意味だという説もあるようだ。
 「江戸城三十六見附を歩く」(鈴木謙一著、わらび書房)は、隅田川に近い外堀から渦巻状に 1浅草橋門 2筋違門橋 3小石川門 4牛込見附 5市谷見附 6四谷見附 7食違門 8赤坂見附 9虎ノ門 10幸橋門 11山下橋門 12数寄屋橋門 13鍛冶橋門 14呉服橋門 15常盤橋門 16神田橋門 17一ツ橋門 18雉子橋門 19竹橋門 20清水門 21田安門 22半蔵門 23外桜田門 24日比谷門 25馬場先門 26和田倉門 27大手門28平川門 29北桔梗門 30西の丸大手門 31西の丸玄関門(二重橋) 32坂下門 33内桜田門=桔梗門 34下乗門 35中之御門 36中雀門−−を三十六見附としているが、今も「見附」の名前を残すのは「牛込」「市谷」「四谷」「赤坂」の4つだけだ。
 なお、新潟県中央部にある小都市・見附市の名前には、山城を築き敵を「見つける」から転じたとする説、川が氾濫し「みずく(水に漬く)」から転じたとする説があるそうだ。

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