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52回

 日本の高校野球の歴史は1915(大正4)年に行われた第1回全国中等学校野球大会に始まる。プロ野球がペナントレースを開始したのは1936(昭和11)年だから、プロ野球よりはるかに古い歴史を持っているわけだ。ただ、現在のように夏の高校野球(朝日新聞社主催全国高校野球選手権大会)が1府県1代表、東京は東西2代表、北海道は南北2代表の計49代表校で争われるようになったのは1978(昭和53)年からである。
 27年も前のことだから、若い人は「それまではどうやって代表を決めていたのだろう」と不思議に思うかもしれないが、1府県1代表でない地区には地区大会があって、府県大会の優勝校または上位2校が決戦大会を行って地区代表校を決めていたのである。
 原則1府県1代表になるまでにはかなりの変遷があった。1957年までは3県以上の地区大会が多数あったが、60年以後はすべて2県での代表決定戦となり、さらに74年以後は大会ごとに単独代表が増えた。めまぐるしいのは山梨県で、第2回が北陸、5〜8回が甲信、9〜16回が甲信越、17〜21回が甲信静、22〜39回が山静、41〜56回が埼玉との西関東、57〜59回が群馬との北関東大会と何度も地区割りが変わった。
 和歌山県は比較的安定しており、第1回が大阪、奈良、和歌山の3府県で関西予選を実施した以外は、78年に青森、秋田、群馬、山梨、富山、石川、福井、滋賀、奈良、鳥取、島根、徳島、高知、佐賀、長崎の15県とともに最後に1県単独代表になるまで、記念大会を除いて常に奈良県との紀和大会で甲子園出場を争ってきた。紀和大会は戦前の中等学校時代も含め52回行われたが、1957年までは和歌山が34勝2敗と奈良勢を圧倒してきた。しかしその後は力関係が逆転、59年の41回大会以後は4勝12敗と大きく負け越して紀和大会は終わった。紀も和も和歌山のことのようだが、和は大和の和である。

 
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