I will support Ohashi For tomorrow.
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談



五十五万石

 ある会合であいさつした時だったと思うが、「紀州徳川家55万石の城下町・和歌山市」としゃべったら、すかさず次のどなたかに「55万5000石」と言い直されたことがある。明治維新後もしばらく全国で8位の人口を持っていた元御三家の城下町・和歌山市民の誇りが「5000石」の切り捨てに強い抵抗感を抱かせるのだろうと思い、不用意な発言だったと反省して、以後はなるべく「55万5000石」と言うように心がけてきた。
 前にも書いたように、当時の紀州藩は、元々紀伊の国だった現在の三重県東紀州地方(尾鷲、熊野両市と北牟婁、南牟婁郡)に加え、伊勢国の松阪、白子(鈴鹿市)、田丸(度会郡玉城町など)が領域で、高野山寺領は管轄外だった。1619年までの浅野家時代の紀州藩は37.6万石で、支配地は高野山領を除く紀伊一国だった。御三家の一つとして初代藩主頼宣が駿府から移封される時に伊勢3領、計17.9万石が追加されたわけである。
 江戸時代の大藩といえば、ベスト3が加賀・前田家の102・3万石、薩摩・島津家の77.1万石、仙台・伊達家の62.5万石の外様3藩。続く4位が御三家の尾張徳川家62万石で紀州藩は5位である。以下、熊本・細川家54万石、福岡・黒田家52.3万石、広島・浅野家42.6万石、長州・毛利家36.9万石、佐賀・鍋島家35.7万石。以下御三家の水戸徳川家35万石、鳥取・池田家32.5万石、津・藤堂家32.4万石、福井・松平家32万石、岡山・池田家31.5万石までが30万石以上の大名だが、たいてい何千石かの「ハンパ」がついている。どこでも何千石まで正確に言っているとは思えない。トップの金沢は豪気に2万3000石も切り捨てて「加賀百万石」ではないか。
 ブランド名に石高をつけている和歌山名物の商品は清酒、梅干、菓子などだが、いずれもハンパを切り捨てて「五十五万石」を名乗っている。5000石ぐらいエエやないか。


左から)河本食品の梅干「紀州五十五万石」、叶「界一統の銘酒「紀州五十五万石」、うたやの銘菓「五十五万石」。いずれも五十五万石で半端は切り捨てである
<back>
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談

 大橋建一へのご意見等は、こちらから。  E-Mail : info@ken-ohashi.jp