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30番

 私が初めてプロ野球というものに興味を持ったのは昭和29年、小学校2年のころだが、当時はどのチームの監督も、ほとんどが背番号30をつけていたのを同年輩の人なら覚えているはずだ。そして今でもアマチュア野球やソフトボールなどのチームの監督は、背番号30が相場になっているらしいが、今ではプロ野球の監督に背番号30は一人もいない。昔の記録を調べてみると、プロ野球草創期の1リーグ時代(1936〜49年)の監督はみんな背番号30だったのが、セパ両リーグ時代に入って崩れたらしい。
最初に破ったのは、1950年、2リーグ分裂とともに発足した毎日(現・千葉ロッテ)で、翌51年に西鉄(現・西武)、54年には近鉄、58年に広島、59年に中日、60年に阪急(現オリックス)と大洋(現・横浜)、61年に巨人、62年に阪神、63年に国鉄(現ヤクルト)、65年に南海(現ダイエー)がそれぞれ監督=背番号30に別れを告げた。最後までがんばった東映(現・日本ハム)も71年に30番を選手に明け渡している。ただし、阪急=オリックスは74〜78年と81〜90年に上田監督が30番をつけている。
なぜ昔の監督は30番?と思って調べたが、明確な答えは見つからなかった。あくまで推測だが、1リーグ時代は1チームの選手数が少なく、ベンチ入りできるギリギリの25人ぐらいしかいなかったので、監督やコーチを区別するのに、30番程度の番号を使えば十分だったということか。2リーグ時代に入り、選手の数も増え、30番では選手に埋もれてしまうので、必然的に監督の背番号も大きくなっていったのではないだろうか。
さて、背番号30の選手と言うと、まず思い出すのは江川卓あろう。逆に言うと、選手にとって荷が重い番号なのか、著名な選手は意外なほど少ない。巨人には江川以外にも須藤、ライトがいたがどれも一流とはいえまい。期待は阪神の久保田投手だが…。


プロ野球の監督で一番最後まで背番号30を守った上田ブレーブス監督

背番号30の名選手、巨人・江川が1982年5月に中日・中尾にホームランを打たれた瞬間

シドニー五輪女子ソフトボールの宇津木監督の背番号は30。今もアマチュア野球やソフトボールの監督の背番号は30が普通だ

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