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三球・照代

 語呂合わせで申し訳ないが、39回ということで、春日三球・照代の話を書く。
 「しかし、考えてみると不思議ですね。地下鉄って」「なにが不思議なの?」「地下鉄の電車って、どこから入れたんでしょうね。考えると、また寝らんなくなっちゃう」という「地下鉄漫才」が1978年に大ヒットした「三球・照代」は、66年結成の夫婦漫才だが、ほぼ地下鉄ネタだけで漫才史に名を残す「一発屋」だ。87年3月末、TBSテレビ「新伍のお待ちどうさま」の公開録画に出演中、照代がクモ膜下出血で倒れ、51歳で死去。三球はその後若い女性と新コンビを組んだが売れず、2年後「おばあちゃんの原宿」といわれる東京・巣鴨のとげ抜き地蔵商店街で衣料品店を開いた。店は今も健在という。
 今から25年位前だから、地方都市では地下鉄が珍しく、「地下鉄ネタ」に新鮮味があって受けたのも理解できるが、昔から地下鉄に乗り慣れていた東京人にまでこの漫才が人気を博した理由がよく分からない。というのは、東京の地下鉄は最も古い営団(現・東京メトロ)銀座線、丸の内線とも地上に出る場所があり、そこに車庫が設置されているのを東京の人ならみんな知っているし、他の各線はほとんどJRや私鉄と相互乗り入れして地上の線路とつながっているので、そこから電車を入れたに決まっている。だから地下鉄漫才を面白がるのは、東京の地下鉄事情に詳しくない人に限られるはずなのである。
 もっとも、74年一部開通の有楽町線や78年部分開通の都営新宿線は、最初は地上と接続がなく、車両搬入に苦労したようだ。新宿線の地下車両基地わきに大きな穴を開けて電車を運び込むようすを三球・照代が見学したという話が残っている。照代死去後に開通した南北線も当初全地下だったし、地下4〜5階の深い所を走る都営大江戸線は全く地下だけで完結している。三球・照代の疑問は実は今こそ一般性を増しているのかもしれない。

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