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ICHIRO 51

 51といえばイチローである。今シーズンはやや不調で、成績に波があるが、世界を舞台に活躍する日本人スポーツ選手の中でも、イチローほど誰もが脱帽する実績をあげ続け、31歳を過ぎた今もなお、一層の高みを目指して自己への挑戦を続けている人は、サッカーやゴルフ、マラソン、テニスなど他のスポーツ界に目を広げてもちょっと見当たらない。
 それにしても今から思えば不思議なのは、オリックスに入団してからの2年間、つまりまだ鈴木一朗だった1992〜93年はイチローが鳴かず飛ばずだったことだ。当時の土井正三監督(巨人の二塁手だった土井である)ら一軍首脳陣はイチローのフォーム矯正にこだわり、二軍コーチだった河村健一郎と共に編み出した振り子打法を認めず、二軍で打ちまくっていたのに、「フォームを直さないと一軍に上げない」と「意地悪」をしたというのはかなり有名な話らしい。93年のオフに土井監督がクビになり、後を受けた仰木彬監督のもとでイチローと改名、急成長を遂げたのだから、仰木さんは今でも恩人である。一方、イチローを二軍に落とした土井正三氏は94年にイチローが210安打という日本最高記録を樹立した時、「たとえ4割打とうが、ワシはあんな打法は認めん」と言い放ったそうだ。
 その後の国内での成績はご承知の通り7年連続首位打者、それも毎年.340以上という驚異的な数字で、7年間パ・リーグの人気を1人で背負ってきた。特に94年は210安打.385、2000年には.387を達成し、国内に敵なしということで大リーグへと旅立ったわけだ。
 メジャーの4年間も、85年ぶりの最多安打記録更新となった昨年の262安打を始めすごい記録が目白押しだ。感心するのは大リーグ初年度を除き対左投手打率が対右投手より高いことで、昨年はついに.404(対右腕は.359)に達した。今年9月11日までの5年間の通算でも、対右腕2359打数760安打.322に対し、対左腕は955打数343安打.355である。

 
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