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八十一代

 源平の騒乱にもてあそばれ、わずか7歳で壇ノ浦の海中に没した81代・安徳天皇ほど悲劇的な生涯を終えた天皇は、天皇家の長い歴史の中でも他にいないのではないか。
 平安時代末期、「平氏に非ずんば人に非ず」といわれる時代を築いた平清盛が娘徳子(後の建礼門院)を第80代高倉天皇に嫁がせ、1178年11月に生まれたのが後の安徳天皇である。生後1ヵ月で皇太子となり、翌々年4月、満1歳5ヵ月で即位した。だが「おごる平氏は久しからず」、その翌年(1181年)清盛が熱病で死去したことから平氏の力は急速に弱まり、83年には木曽義仲に攻められ一門は都落ち、84年には摂津一ノ谷で、翌85年2月には讃岐の屋島で義経軍の奇襲に遭い、関門海峡の壇ノ浦へと敗走した。
 そして同年3月24日早朝、源平の最終決戦が始まる。最初は平氏軍優勢だったが、潮の流れが変わり、軍船の漕ぎ手を狙い射ちする当時ルール違反とされた義経の戦法で形勢逆転、寝返りも続出して平氏は敗戦、諸将は次々海へ身を投げた。安徳天皇の祖母二位尼(清盛の妻時子)は「尼は私をどこへに連れて行くの」と訪ねる幼帝を抱き「波の下にも都がございます」となだめ、三種の神器の勾玉と宝剣を身につけて海に消えた。
 義経が天皇を処刑するとは思えず、降伏していれば命は永らえたはずの安徳天皇を、時子がなぜ道連れにしたのか理解しがたいが、この結果皇位継承のシンボルのうち宝剣はついに見つからず、舟に残された鏡と海に浮かんでいた勾玉だけが都に戻った。すでに都では後鳥羽天皇が「神器なき即位」を済ませており、神器奪還が後白河法皇と頼朝の厳命だった。それを果たせなかった義経は滅び、源氏も3代で終わる。伊勢神宮からスペアの剣を調達して形を整えた後鳥羽天皇は後に鎌倉幕府に反旗を翻し、配流先の隠岐で没した。幼帝の命より神器奪取に血眼になった人々への安徳天皇の怨念がなせる「たたり」か。
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奇しくも8月1日に、惰学記新シリーズ81回をUPすることになりました。私の駄文を飽きることなく読んでいただいている皆様。これからもよろしくお願いいたします。

 
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