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八十二銀行

 数字が行名になっている銀行を「ナンバー銀行」というそうだ。現在あるのは(1)第三銀行(本店・三重県松阪市)(2)第四銀行(新潟市)(3)十六銀行(岐阜市)(4)十八銀行(長崎市)(5)七十七銀行(仙台市)(6)八十二銀行(長野市)(7)百五銀行(津市)(8)百十四銀行(高松市)の8行で、今回のテーマは長野県全体を主なエリアとする八十二銀行である。
 長野といえば田中康夫氏が3度目の当選を果たせず敗れた知事選が思い浮かぶ。実は八十二銀行元頭取で現顧問の茅野実氏は6年前の田中知事誕生に大いに貢献したが、今回は反田中に回った。従って八十二銀行の帰趨が知事選の行方を左右したと言えなくもない。
 話をナンバー銀行に戻す。元々は明治初頭に紙幣発行を政府から委託された民間銀行で、1873年8月に東京で開業した第一銀行(1971年日本勧業銀行と合併し第一勧銀、2002年に富士、日本興業銀行と合併「みずほ銀」に)は渋沢栄一が初代頭取であった。
1880年ごろには、全国に153のナンバー銀行があったが、その後再編・淘汰を繰り返して名前が消え、発足当時のナンバーを残しているのは6行しかない。実は最初に挙げた8行のうち、第三銀行と八十二銀行は、実は明治時代の同名銀行とは無関係なのだ。
 明治の第三銀行(東京)と八十二銀行(鳥取)は、1923年(大正12)に他の12のナンバー銀行(6、9、22、36、44、58、84、87、103、118、130、136)などと大合同して安田銀行(後の富士銀行、現在は合併でみずほ銀行)となり、消滅した。
 一方、現在の第三銀行は、大正期に設立された熊野共融合資会社が戦後に第三相互銀行と改名、普銀への転換で第三銀行となった。では現在の八十二銀行はというと、1931年(昭和6)に松代(現長野市)の六十三銀行と上田(長野県)の第十九銀行が合併して発足した。何のことはない。「63」と「19」を足して八十二銀行となったのである。
(HP「全国ナンバー銀行リスト」などを参考にした。なお、文中洋数字で示した12のナンバー銀行の正式名と所在都府県は以下の通り。▽第六=福島▽第九=熊本▽二十二=岡山▽第三十六、第四十四、第百十八=東京▽第五十八、百三十=大阪▽八十四=福井▽八十七=福岡▽第百三=山口▽百三十六=愛知)

 
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