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西条八十

 八十といえばやはり西条八十だろう。殿様とみかんが登場して紀州と縁の深い「鞠と殿様」はじめ「かなりや」「肩たたき」「お山の大将」などの童謡は誰もが口ずさんだことがあるし、詩集「コドモノクニ」に収められた「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」で始まる「ぼくの帽子」は森村誠一の小説「人間の証明」にも使われて有名だ。
 西条八十は1892年(明治25)東京生まれで、1970年(昭和45年)に亡くなっているから、前に書いた獅子文六(1893〜1969)と全く同時代の人である。文六は筆名だったが、八十は本名で、「苦」のない人生をという思いで、「九」を抜いた「八十」と命名されたそうだ。奈良を愛した歌人會津八一は、八十より9歳上の1881年生まれだったから八一で、山本五十六はその1歳下である。これだけの材料で断定はできないが、数字の名前をつけるのが明治時代の流行だったということも想像できる。
 西条八十は歌謡曲の作詞家としても名高い。戦前の「東京行進曲」=1929、「侍ニッポン」=31、「銀座の柳」=32、「東京音頭」=33、「旅の夜風」「支那の夜」=38、「誰か故郷を思わざる」「蘇州夜曲」=40や軍歌「若鷲の歌」=43、戦後の「三百六十五夜」=48、「青い山脈」=49、「越後獅子の唄」=50、「トンコ節」=51、「芸者ワルツ」=52、「この世の花」「娘船頭さん」=55、「王将」=62、「夕笛」=67などのヒット曲がある。「東京行進曲」の「昔恋しい銀座の柳」という歌詞は、関東大震災の後、銀座の並木がプラタナスに変わってしまったのを嘆いて書いたもので、曲が大ヒットした結果、「銀座の柳」が復活したという。八十の持論「流行歌は人間を動かすような力を持たなければ」はここから生まれたという。
 ただ、「鞠と殿様」の歌詞には解せないところがある。一番最後の「赤いみかんになったげな」の部分だ。みかんはどう見ても黄色なのに、八十はなぜ「赤い」と書いたのだろう。

和歌山城天守閣前に立っている「鞠と殿様」の歌碑
汚a歌山市出身の書道家・故山本真舟さんの筆による「鞠と殿様」
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