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昭和63年

  昭和最後の年は64年だから、昭和時代が足掛け64年間だったことは事実だが、昭和天皇の在位期間はというと、実は63年もない。 昭和元年は1926年12月26日から6日間だけ、昭和64年は1月7日までわずか7日なので、通算62年と13日しかないのである。もちろん、 それでも昭和が日本史上最長の年号であり、在位期間が確認できる推古天皇以後の天皇の中で昭和天皇の在位年数が最長であることに変わりはない。
 さて、昭和63年は新聞記者にとっては緊張の年であった。その前年9月22日に昭和天皇が「慢性膵炎の疑い」で手術され、一応回復のご様子だったが、 何しろ88歳のご高齢である。いつ「もしも」のことがあっても対応可能なように記事の準備が始まった。そして約1年後、ソウル五輪開会式翌日の9月18日、 昭和天皇は発熱で大相撲観戦を急に中止、翌日から吐血下血を繰り返す重体に陥った。マスコミはてんやわんやである。皇居北側の乾門前には各社のテントが並び、 社内の大部屋が臨時の宿泊所になって布団が大量に持ち込まれ、私のいた整理本部でも「天皇班」数人が長期の泊まり込み体制に入った。
各紙には陛下の体温、血圧、脈拍が連日掲載され、容態が悪い日はNHKが通常番組を 特番に変更して、今の高知県知事・橋本大二郎社会部記者が解説役でいつも登場していた。
 今でも忘れられないのが12月5日である。この朝、昭和天皇は十二指腸付近から大量出血し、最高血圧が40に低下、意識不明になられた。 当然にも橋本大二郎記者の出番で、ひとしきり解説が続き、容態も小康となった9時50分ごろ、JR中央線東中野駅に停車中の電車に後続の電車が追突し2人死亡、 116人が負傷という惨事の第1報。即座に橋本記者は鉄道事故の解説者に「変身」し、東中野駅付近が危険な地形であることをペラペラ解説し始めたのである。 有能な記者の切り替えの速さと間口の広さに妙に感心した。

 

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