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百恵

 惰学記の数字シリーズも、とうとう100回になってしまった。昔からこの惰学記を読んでおられる方はご存知の通り、数字シリーズの第1回は「一期一会」だった。その文中で、一期一会という言葉との出合いについて、「山口百恵が、引退後にリリースした『一恵』という曲がきっかけだ」と書き、80年当時、百恵の熱烈なファンだったことを「告白」している。実は、数シリーズを始めた時から「100」は「百恵」と決めていたのである。
 山口百恵は1959(昭和34)年生まれ、後に阪神・淡路大震災の日として人々の記憶にとどめられるようになった1月17日が誕生日だから、今48歳ということになる。まだ13歳だった72年12月に、伝説のオーディション番組「スター誕生」に応募し合格、翌73年5月に「としごろ」で歌手デビューした。しかしこの曲はヒットせず、2曲目からは業界で「あぶな絵路線」といわれる際どい歌詞の曲を歌わされることになった。
 本来ならここでつぶれてもおかしくなかったが、14歳の少女にしては不思議な、クールな色気を感じさせる歌いぶりが人気を呼び、74年6月リリースの「ひと夏の経験」で大ブレーク、紅白初出場を果たし、スタ誕の先輩、森昌子、桜田淳子を抜いて、一気にトップアイドルの地位に登った。愁いを帯びた、アイドルにしてはやや暗めのイメージが映画やドラマでも支持を受け、歌では「横須賀ストーリー」「イミテイション・ゴールド」「秋桜」「プレイバックPart2」「いい日旅立ち」など後々まで歌い継がれる名曲を数多く残して、80年、21歳の秋に俳優・三浦友和と結婚、芸能界を去り、一主婦となった。
 考えてみると、わずか7年半の芸能生活で、山口百恵はファンに「百の恵み」を与えてくれた。百恵ブームの絶頂期に評論家・平岡正明が「山口百恵は菩薩である」という本を書いたが、引退後27年、テレビに全く顔を出さないのに、百恵の印象は今も強烈である。

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 数字シリーズ、われながらよく続くものである。しかし3桁の数字話となると、そうは書けるものではない。130あたりが限界かと思うが、とりあえず頑張ってみよう。


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@ 山口百恵引退前後に出たLP(古い!)「不死鳥伝説」のジャケット援と武道館さよならコンサートを収めたライブ盤「伝説から神話へ」の中表紙&おまけのフィナーレ写真2枚
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A 平岡正明の著書「山口百恵は菩薩である」、平岡は後に「菩薩のリタイア」と題して百恵の引退についても書いている(その本も持っている)


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