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市民が主役

惰学記


10月3日

 1989年(平成元年)は、日本では昭和から平成へと年号が変わったほか、消費税創設やリクルート事件があり、日経平均株価が年末に38,900円台となったバブル絶頂の年でもあったが、それ以上に世界的な激変の年だった。ソ連がアフガニスタンから撤退し、中国では天安門事件が発生。ゴルバチョフ書記長のペレストロイカ政策により、ソ連の東欧圏に対する強権的な支配が急速に弱まり、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア、東ドイツ、ルーマニアと、東欧諸国の一党独裁体制が次々崩れたのである。中でも象徴的だったのが89年11月9日のベルリンの壁崩壊で、その約1年後の90年10月3日に、第2次大戦後45年間にわたって東西に分裂していたドイツが再統一を果たしたのである。
 ベルリンは旧東ドイツの東部にある。1945年、ナチスが崩壊し、米英仏ソの4カ国軍が首都ベルリンを4分割して占領、ドイツ全体も4分割された。4カ国の共同統治組織は長続きせず、米英仏3カ国の占領する西ドイツ、西ベルリンとソ連が占領する東ドイツ、東ベルリンに分かれ、占領終了後も東西ドイツは別々の国家となった。西ベルリンは東ドイツの中に浮かぶ「離れ小島」となり、「西側のショーウインドウ」といわれたが、61年8月13日、東ドイツは東ベルリンと西ベルリンの境界に壁を築き監視塔を設けた。西ベルリン経由で西側世界へ逃げるのを防ぐための壁で、それほど脱出希望者が多かったわけだ。
 壁は28年後に民衆の力で崩壊し、分裂国家も統一されたが、今も旧東ドイツは貧しく、ドイツ経済に影響を与え、ネオナチ台頭の温床となった。統一から10年以上後の01年夏に夫婦でベルリンを訪れた時感じたのは、なお残る東西ベルリンの生活格差だった。旧東地区に入ると街は暗く、塀は落書きだらけで家賃の安いアパートが林立し、再開発が大きな課題となっていた。「ベルリンの壁の破片」が土産物として売られていたのも印象に残る。


東西分裂時代 統一後

戦後・東西分裂時代のドイツ地図




90年10月3日に統一を果たして以後のドイツ地図
(帝国書院『ワールドアトラス』三訂版より)



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