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市民が主役

惰学記


105株

 株といっても農産物の話でも、株式市場の話でもない。大相撲の年寄株のことである。年寄株は、年寄名跡とも言い、力士が現役を退いた後、相撲協会に残って、弟子を養成し、親方として定年(65歳)まで勤めることができる権利のことである。力士なら誰でも得られるのではなく、十両以上を通算30場所、幕内なら20場所、三役なら1場所(部屋の継承者と認められた場合は十両20場所、幕内12場所)以上本場所を勤めることが条件だが、その資格があっても年寄株を持っていなければ協会に残れないのである。ただし、優勝20回以上など抜群の成績により、「一代年寄」と認められれば一代限り現役の四股名のまま年寄となれるほか、引退後、横綱は5年、大関で3年間は現役名で協会に残れる特例がある。
 相撲部屋の親方を年寄と呼ぶのは、相撲の興行が始まった江戸時代からの慣習である。当時は幕府の老中や各藩の家老など重役職、大奥の重職、町民や農村の長をすべて「年寄」と呼んでいたので、相撲の世界でも、現役を引退し興行の運営をする役職を、当時の普通の感覚で「年寄」と名づけたのだろう。この制度が綿々と引き継がれてきたのである。
 力士の大半は35歳ぐらいまでに引退するので、協会に残り、「第2の人生」の安定を図りたいと考えるのは当然だが、年寄株の数は限られていて、1959年以後は105株と決まっている。従って株は高値で取引され、時には若貴兄弟のような争奪戦もあった。一時は売買価格が3億円とも言われたが、最近は規制も厳しくなり、8000万円程度まで下がったという(インターネットのフリー百科事典ウィキペディア)。昭和30年代、大関松登が株を取得できず、そのまま廃業かと騒がれた時に、師匠の大山親方が急死して、「麗しき師弟愛」と話題になったほか、近年でも横綱大乃国、大関霧島、関脇琴錦ら人気力士が株を取得できず廃業寸前となった。元横綱武蔵丸親方も同様で、来年で猶予期間が切れる。



年寄株一覧表
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