明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


SHIBUYA109(マルキュー)

 東京・渋谷の道玄坂にあるSHIBUYA109が若者の間で「マルキュー」と呼ばれていることを知っている大人は、つい最近まであまり多くはなかったはずだ。先日の自民党総裁選で、福田現総理に敗れた麻生太郎前幹事長が、街頭演説で若者を意識して「マルキューはアジアのファッション発信地だ」と使ったところから広く知られるようになった。
 そのマルキューがオープンしたのは1979年だそうだ。当時私は新聞社の大阪本社勤務で、時々しか東京には行かなかったし、行っても隅田川河畔の妻の実家周辺から皇居前の毎日新聞社までが行動範囲だったので、渋谷の記憶は、まだ学生時代の1967年に東横デパートが東急に名前を変え、松涛に近い奥まったところに渋谷本店ができたこと、西武百貨店がその翌年、殴り込みをかけるように渋谷に進出したころで止まっていた。
 その後、PARCOが73年に開店し、次々店舗を拡大したが、セゾングループの攻勢に東急も反撃を開始。76年には東急ハンズがPARCOの隣に1号店を開いて人気を呼んだ。私も85年からの東京勤務時代にはよく利用した。そして、その3年後にSHIBUYA109、さらに10年後の89年に、東急本店の北西隣にホール、映画館、美術館などを備えた「東急文化村(Bunkamura)」が開設され、東急グループが激しく巻き返したのである。
 109は言うまでもなく10(トー)9(キュー)の語呂合わせで、営業時間もそれに合わせて午前10時〜午後9時となっている。そのネーミングと、渋谷駅ハチ公口から見通せる三角地の頂点にそびえる円筒形のエレベーターホールタワーが若い女性にウケて、彼女たちから「マルキュー」と呼ばれるようになった。そのタワーを後尾とするエンゼルフィッシュ型8階建てビルの店内のほとんどが10代から20代の女性向けテナントで、オッサンが入ったらつまみ出されそうな場所だけに、私にはもう一つ印象が薄かったようだ。


「SHIBUYA109」

道玄坂の角地に立つ「SHIBUYA109」=マルキュー



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