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111番目 浄瑠璃寺を初めて訪れたのは高校の修学旅行の時だから、今から43年も前の1964年3月のことである。まだ東海道新幹線は開業しておらず、都立戸山高校の2年生400人は、そのころあった中学生用の修学旅行電車「日の出号」で京都・奈良方面に出かけた。当時、東京では中学校の修学旅行も京都であり、高校に入ってすぐだったか2年生になってだかは忘れたが、修学旅行先が京都・奈良と知って教室でブーイングが起きたような記憶がある。ただ、戸山高校では3泊4日で回るコースを何通りか示し、クラスごとに生徒が好きなコースを選べるようなシステムになっていた。私のいた2年G組(レインボークラスなどと自称していた)は浄瑠璃寺のほか、奈良の橘寺、飛鳥寺、秋篠寺、般若寺、京都では三千院、寂光院、高山寺、神護寺、天竜寺、大仙院、苔寺などやや渋めの観光地を選んで回ったが、中でも印象深かったのが三千院、秋篠寺、そして浄瑠璃寺だった。 末法思想が広まった平安時代後期、人を西方浄土に迎えてくれる九体の阿弥陀如来が並ぶお堂が京都のあちこちに建てられたようだが、度重なる戦乱ですべて失われ、九体仏が残ったのは京の中心部から遠く離れ、奈良市と境を接する南山城・旧加茂町の浄瑠璃寺だけだったとされる。南北に細長い本堂に九体の阿弥陀如来が真東を向いてずらり並ぶ姿はとても荘厳で、西方浄土へのあこがれを阿弥陀如来に託した昔の人の心が伝わってくる。 修学旅行から7年後に駆け出し記者として奈良支局に赴任した私は、その時初めて浄瑠璃寺が京都府域にあるのを知ったのだが、休みの日に早速妻と2人で訪問、素晴らしさを再確認し、その後、奈良を訪れてくれた友人たちを案内して、何度も浄瑠璃寺に出かけた。 浄瑠璃寺のある加茂町は、今年3月に隣接の木津町、山城町と合併し、木津川市となった。全国で782番目(東京都の23区を含めると805番目)、近畿で111番目の市である。 |
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