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九十七王子
「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された熊野三山への参詣道が熊野古道で、道中のあちこちに王子社と呼ばれる場所がある。元々は各地域の信仰の聖地のようなものだったらしく、参詣者は王子社に立ち寄って神仏習合的な儀礼を行っていた。
京都から終点である熊野三山までの道筋に百前後の王子社があったことから、一般に「くまの九十九王子」と呼ばれた。ただし数は正確でなく時期的にも変動している。そこで、独断と偏見で古道のゴールに近い王子社から逆順に『九十九、九十八、九十七……』と便宜上ナンバーを振ることにする。さて、熊野古道の本宮大社以降は、大雲取越えという難所を経て、那智大社に出てから海沿いに歩き、速玉大社を終着とするルートと、本宮大社から熊野川を船で下って速玉大社に行き、最後に那智大社を訪れるというルートがある。従って速玉大社が終点の場合、最後の九十九王子は浜王子(現新宮市王子町)で、九十八番目は佐野王子(同市佐野)となる。那智大社が終点なら九十九王子は多富気王子(現那智勝浦町宮地)、九十八番目は市野々王子(同町市野々)だが、両コースともその前の九十七王子は浜ノ宮王子(那智勝浦町浜ノ宮)だ。という強引な展開で浜ノ宮王子の話になる。
浜ノ宮王子は、「南海の果てにある観世音菩薩の住む霊地」とされる「普陀落山」への渡海の出発点とされ、王子社の隣には天台宗の普陀落山寺があって普陀落渡海の船の模型が展示されている。平安時代の868年から江戸時代の1722年までの間に普陀落山寺の住職ら20人が渡海したことが「熊野年代記」に記されているが、渡海といっても、粗末な船にわずかな水と食料を積んで、あてもなく船出するという全くの自殺行である。渡海者は極楽浄土へ行けることを信じて出発したといわれるが、直前に怖気づき、見物に来た多数の庶民に船に押し込まれて無理やり渡海させられた気の毒な人も少なくなかったようだ。
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浜の宮王子社跡(那智勝浦町浜ノ宮)一帯は「渚 の森公園」となっており、国道から入ったところに 案内板が出ている
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王子社跡の神社の隣にある天台宗の普陀落 山寺に安置されている「普陀落渡海船」の模型
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