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市民が主役

惰学記


威一郎(いいちろう=116)

 最近お騒がせ発言で話題の鳩山邦夫法相(自民)と、ちょっとわがままな党首を支えて苦労している民主党の鳩山由紀夫幹事長はご存知の通り兄弟で、92年までは共に自民党にいたが、宮沢政権末期の自民党分裂以後は、兄由紀夫がさきがけ→民主党、弟邦夫が新進党→自民復党と別の道を歩んでおり、ねじれ国会の先取り的象徴のような存在である。
 兄弟の祖父一郎が戦後初の総選挙後、総理を目前に占領軍の手で公職追放され、追放解除直前には脳出血で倒れるという悲運に見舞われながら、苦節8年、ついに吉田茂内閣を倒し、総理の座に就いて保守合同、日ソ国交回復、日本の国連加盟をなし遂げたことはよく知られているが、兄弟の父、即ち鳩山一郎の長男・威一郎は意外に知られていない。
 116回で威一郎は全くの語呂合わせだが、威一郎は第一次世界大戦終結の日、1918(大正7)年11月11日に生まれた。東大法学部を主席で卒業した大蔵官僚で、事務次官などを歴任後、74年に55歳で参院議員に当選、3期18年、福田赳夫内閣で外相を務めた。父や2人の息子と違ってエピソードらしいエピソードがないのか特徴で、インターネットの百科事典Wikipediaには「水割りを作るのが非常にうまく、大蔵官僚時代は同僚や後輩を家に呼び、ふるまった。その水割りを彼らはポッポスキーと呼んでいた」と記されている。
 なぜ一郎が自分の息子を威一郎と名付けたか。威という字には威張っているような感じがあり、ソフトな威一郎と合致しない。自分より偉い人間に育ってほしいという意味なら偉一郎だし、不思議に思っていたが、ある本※に、一郎が尊敬していた米国28代大統領ウイルソン(威爾遜)にちなんでつけたと書かれているのを知り、国際派の一郎らしいと納得した。ところで、鳩山威一郎の長男が鳩山由紀夫だが、三島由紀夫(本名・平岡公威)の長男は平岡威一郎(筆名・三島威一郎)である。これは果たして偶然なのだろうか。

角川書店刊「追想、鳩山威一郎」に姉古澤百合子が「父の一郎より以上の人間になれるようにと、当時、父が尊敬しておりましたアメリカのウイルソン大統領の名前にちなんで、「威」の字を付けたともうしておりました」と記している。

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地元で長く「音羽御殿」と呼ばれた東京都文京区音羽の鳩山一郎、威一郎父子の邸宅は、現在は「鳩山会館」として一般公開されている



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