明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


133周年

 国立大学法人・和歌山大学は今年60周年の記念式典を開催した。1949年5月に和歌山師範学校(男子部・女子部)、和歌山経済専門学校(旧和歌山高等商業学校)が合併して和歌山大学になった時が起点なので、正確には59周年だが、こうした式典は数え年で行われることが多く、間違いとはいえない。ところで、私が学んた和歌山大学附属小学校*は満年齢で今年が創立133周年である。不思議なことに「親」である大学より「年上」なのだ。
 話は江戸時代にさかのぼる。和歌山城のある虎伏山から南に連なる砂丘に、紀州徳川藩の文武館があり、幕末に「学習館」という藩立学校となった。余談だが、学習館の校長の妻だった川合小梅(1804〜1889)が 16歳で結婚して以来70年間ほぼ欠かさず書き続けた日記は、幕末から明治維新にかけての庶民の暮らしぶりや、酒好きゆえの自らの失敗談などを記した貴重な記録で、この日記ゆかりの地を歩いて城下町和歌山を再発見しようという「小梅日記ウォーク」など**が天守閣再建50周年イベントとして行われている。
 さて和大附属小学校のことである。学習館が維新後に「県学」「岡山小学」と次々改名、1875(明治8)年5月に岡山小学は和歌山師範学校となり、附属小学校が誕生した。戦後、和歌山大学発足とともに師範学校は名称が学芸学部(のち教育学部)***となった。戦前からの木造オンボロ校舎は今の県立美術館辺りにあったが、86年に大学が現在の栄谷キャンパスに統合移転後、教育学部跡に小中学校の新校舎が建設され、89年に移転した。
 私が入学したのは1953年で、入試は学力テストの後に抽選があり、運良く当たった。小学校時代は先生の話を聞かず私語の多い、机の周りが乱雑な、激しやすくて泣き虫で、すぐ教室を飛び出す問題児だった。よく考えてみると、今も本質は余り変わっていないのではないかという気がして恥ずかしい。周りの人たちに支えられて何とか生きているのだ。

* 新聞などでは「附属」を「付属」と書くが、校章も「附小」となっているし、東京の赤坂見附や新潟県見附市など固有名詞では「附」を使っている。学校のホームページでも「附属小学校」となっているので、私も「附」にこだわることにする。
**「川合小梅展」が10月17日から11月16日まで、和歌山城天守閣で開催される。
*** 1966(昭和41)年に国立の「〜学芸大学」や「〜大学学芸学部」が一斉に教育大学、教育学部に名称変更され、その時和歌山大学も学芸学部を教育学部と改名した。全国で唯一の例外が東京学芸大学で、これは現在の筑波大学の前身である東京教育大学という別の大学が当時まだ存在した(東京教育大学は78年に閉学となった)ためである。

現在の和歌山大学附属小・中学校の正門(右上の小さなマークが校章である)
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