明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


走行距離142km

 「稀代のクセ馬」カブトシローを知っているのは私より年齢が上の相当古い競馬ファンだろう。今から47年前の1962年生まれだから、5冠馬シンザンの1歳下で、3歳から7歳(今の数え方なら2〜6歳=以下すべて当時の数え年表記による)まで走って天皇賞、有馬記念を含む14勝というかなりの成績だが、大レースの勝ち馬にしては珍しく69戦も戦っている。レースでの走行距離を合計すると142km(1度4コーナーで落馬しており、その分を引くと141.6km程度となる)で、一流馬としては明らかに走らされ過ぎである。
 この馬が「稀代のクセ馬」と呼ばれたのは、一気に逃げて逃げ切るか潰れるか、と思えば、離れたドン尻から鮮やかな追い込みか後方のままかという常識はずれの極端なレース振りと、人気薄で大駆けし、人気になると惨敗という本命党を裏切るレース成績によるもので、「競馬新聞を読んでいる」とか「オッズを見て走る」などと度々言われていた。
 何しろ、7歳時に「賞金稼ぎ」狙いで出た5〜6頭立てオープン競走*での4勝を除く10勝のうち一番人気だったのは、強い馬が出ないダービー前週のオープン競走(8頭立て)だけで、あとは2着1回、残る8走は全部4着以下だった。逆に1番人気以外での9勝は2、3番人気が各1回、他はすべて4番人気以下だった。また、有馬記念とAJC杯で2着が1回ずつあるが、これも7番人気と4番人気での連対で、裏切り方は徹底していた。
 実は4歳の夏までカブトシローの主戦騎手だった山岡サは、当時競馬会を揺るがせた八百長事件の中心人物として逮捕・追放されたため、人気と正反対のレースをするカブトシローは一時八百長馬という汚名を着せられた。だが、以後引退まで9人のジョッキーが騎乗したのに、オープン競走中心に9戦し、1番人気で4勝2着1回、2番人気で1着1回を記録した増田久以外は誰もこの気まぐれな馬を人気通りに走らせることができなかった。

 *競走馬は獲得賞金によってクラス分けされ、それぞれのクラスのレースで勝つことで上位クラスに上がる仕組みになっている。オープン級とは何勝かして到達する獲得賞金の条件がないクラスをいう。なお、重賞以外のオープン級競走は、現在はほとんどオープン特別という特別レースになっているが、かつてはオープンと呼ばれるオープン級による一般レースがしばしば行われていた。
 「優駿達の蹄跡」というホームページには古今東西の我が国競走馬の中で、それなりの戦績を残した2890頭のレース成績が収められているが、それによると、カブトシローの69戦はレース回数で51位、中央競馬のレースに限定すると8位になる。それより上位は@ヤマニンバリメラ99Aミスタートウジン94Bブレッシング83Cサンエムキング77Dイナボレス76Eトラックオー75Fカシマアーバン70の7頭である。

67年秋の天皇賞は中山で開催され、8番人気のカブトシローHが  ネイチブランナーに2馬身差をつけ快勝した  =山野浩一「栄光の名馬PARTT」(明文社)より
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