明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


145里

 1968年の夏に父が中古の初代カローラを買ってくれたことは以前に書いた。免許を取って3カ月も経たない時のことだから、父も我が子には甘かったのである。当時私は本郷の文学部国史専修課程の学生だったが、医学部紛争→機動隊導入→全学ストという激動期で、学内はバリケード封鎖されていた。翌年、安田講堂の攻防戦が終わり、徐々に授業も再開されたが、私はなかなか「現場復帰」できず、バイトの傍ら喫茶店に入り浸る日々だった。
 大学も6年目に入った70年の夏だったと思うが、1人で和歌山まで車で帰ったことがある。東名→名四国道→東名阪*経由で亀山から名阪国道に乗った。今の名阪国道はすべて分離帯のある4車線だが、当時は2車線の対面交通だった。亀山インターから約8kmの関トンネルに差しかかった。約1,100m、少し下り坂のトンネルである。既に6時間以上走ったが、家まであと150km以上というあせりもあって、90kmぐらい出ていた。トンネル出口の先は右カーブで、視界が開けた途端、対向の大型トラックが別のトラックを追い越そうとしているのが見えた。何せ片側1車線である。思わずブレーキを踏んだ。
 アーッと思う間もなく車はクルクルっとスピンして反対車線へ。その横ギリギリを2台のトラックが走り抜けて行き、我がカローラは反対車線のガードレールに左ヘッドライトをぶっつけて止まったのである。ガードレールの先は急ではないが斜面だから、突き破って転落する恐れもあったし、2台のトラックとぶつからなかっただけでも奇跡である。
 トラックの1台がトンネル手前で停車し、降りてきた運転者が私の無事を確認して「神さんにお礼言わんとアカンで」と言い残して去っていった。まさに九死に一生である。片目のライトを頼りに、天理から24号線を超慎重運転で和歌山に帰り着いたのは夜遅かった。
 最近は道が良くなったので、東京―和歌山間は首都高−東名−伊勢湾岸道−東名阪−名阪国道−西名阪−阪和道経由*で約566km即ち145里だが、当時は約152里あった。

 *東名阪が東名とつながったのはずっと後の1993年末である。当時は東名を出て一般道を走り、国道23号線(名四国道)で四日市に出て東名阪自動車道に入るのが割安で早いルートだった。
 **3月28日からのETC土日祝日割引でこのルートを使うと、東京−和歌山間の高速料金は4200円(通常だと18150円)になる。

私が命拾いした中古の初代カローラ(ピンボケ写真でごめんなさい)
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