明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


パイナップル・プリンセス

 パイナップル・プリンセスは私が中学生だった1960年に、アネットという米国の女性歌手が歌ったアメリカン・ポップスだ。日本では大阪出身の田代みどりが61年にカバーして大ヒットした。彼女は団塊世代の1948年生まれだから、この曲が出た時はまだ中学生になり立てぐらいだが、のど自慢大会に姉と2人で6歳のころから出たり、ジャズ喫茶で歌ったりと、芸歴は長かった。1959年デビューのザ・ピーナッツの成功に触発されてか、60年代初頭は十代の女性アイドルが次々出現した時代で、伊東ゆかり、森山加代子、弘田三枝子らに混じって田代みどりも小学生だった60年8月にブレンダ・リーの「Sweet Nothing」のカバー盤でメジャーデビューし、「ビキニスタイルのお嬢さん」(ブライアン・ハイランドのカバー)に次いで出した3枚目のシングルが「パイナップル・プリンセス」だった。
 彼女はこの間60年12月の「善人残酷物語」(日活=益田喜頓、笹森礼子主演)で映画にもデビュー、61年9本、62年は10本に出演、「白い雲と少女」「ママ恋人がほしいの」など主役級も多く、吉永小百合を追う和泉雅子、松原智恵子と並ぶ日活の青春スターだった。
 61年には「パイナップル・プリンセス」はじめ年間12枚のシングル盤をリリースする一方、当時ラジオ東京テレビ(現TBS)で毎週木曜日午後7時から放送の「ラッキーセブンショー」という歌謡番組では、伊藤素道(ムチの音をスリッパをたたいて表現し、「ローハイド」を歌った「リリオリズムエアーズ」のリーダー)とコンビで司会、NHKテレビの「お笑い三人組」にも出演するなど大活躍し、当時日本で一番忙しい中学生と言われた。
 田代みどりがジャッキー吉川とブルーコメッツのギタリスト三原綱木と結婚したのは70年のことで、2年後、夫婦で「つなき&みどり」を結成、「愛の挽歌」をヒットさせた。綱木とはその後離婚、75年に今の夫と再婚して時々テレビのナツメロ番組に出るという。

※「死ぬまで生きよう」というブログの「ふたりのみどり」というコラムを大いに参考にしました。

<注>タイトルがパで始まる曲には、パープルタウン(八神純子)、パラダイム(レミオロメン)、パラレル・ラブ(井上陽水、奥田民生)、パピヨン(島谷ひとみ)、Passion(宇多田ヒカル)、パパはママが好き(ザ・ピーナッツなど)、パッシングライト(矢沢永吉)、パフ(童謡=元はピーター、ポール&マリー)、パラダイス銀河(光GENJI)、パパの歌(忌野清志郎)、パンダうさぎコアラ(坂田修、神埼ゆうこ)、パールカラーに揺れて(山口百恵)など、そこそこの数がある。Passionは英語タイトルだが、ちょっと外せないと思い、敢えて入れた。

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