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市民が主役

惰学記


ヘイ!ポーラ

 「ヘイ!ポーラ」は1963年の大ヒット曲である。オリジナルは「ポールとポーラ」のユニット名でコンビを組んだレイ・ヒルデブランドとジル・ジャクソンのデュエットソングで、63年2月に全米ヒットチャートの1位にランクされた。この曲を日本でカバーしたのが田辺靖雄と梓みちよで、同じ年の5月に、安井かずみ*1の訳詞によるシングル盤が発売された。コンビ名は「みちよ」のMと「靖雄」のYを取って「MYカップル」とされ、同じポールとポーラの「けんかでデート」など計7枚のシングル盤がリリースされた。
同年7月、後にテレビドラマ「コメットさん」で人気を博した九重佑三子がダニー飯田とパラダイスキング(以下パラキン)と組んで同じ訳詞の「ヘイ・ポーラ」を出している。パラキンは坂本九と一緒に「悲しき60才」「ステキなタイミング」などをヒットさせたが、人気急上昇の九ちゃんがソロで歌うようになったため、新たなボーカルとして九重佑三子が選ばれたようだ。九重佑三子は高音の裏声が印象的な歌手で、フォーシーズンズのカバーであるデビューシングル「シェリー」の歌い出しを聞いた時、「すごい歌手が出てきたなあ」と思った覚えがある。つまり「ヘイ!ポーラ」の日本でのカバー盤は田辺靖雄・梓みちよ(MYカップル)と九重佑三子・ダニー飯田とパラキンの競作だったのである。
こうした競作はカバーポップス全盛時代にはしばしばあった*2。ザ・ピーナッツと森山加代子の「月影のナポリ」、坂本九・パラキンと田代みどりの「ビキニスタイルのお嬢さん」、弘田三枝子と中尾ミエ、伊東ゆかり、青山ミチの「VACATION」などがすぐ浮かぶ。
しかし、「ヘイ・ポーラ」の場合は、競作デュエットの片方の田辺靖雄と、もう片方の九重佑三子が後に結婚してしまったのが他の競作と決定的に違う事件だった。今では、この2人が最初からペアで「ヘイ・ポーラ」を歌っていたと錯覚している人も少なくない。

*1 安井かずみ(1939〜1994)の訳詞家時代のペンネームは、みナみカズみ。従ってこの曲の訳詞者欄には「みナみカズみ」と書かれている。安井は数々の名曲を書き、1977年には先ごろ自殺した加藤和彦と結婚したが、17年後に肺がんのため死去した。
*2 最近でも「涙そうそう」などは競作だし、「花」「千の風になって」など、多くの歌手がカバーし、競作のようになった曲は少なくない。
曲名が「へ」で始まる歌は少ないので、有名な英語曲も加えた。ヘッドライト(新沼謙二)、Hey Jude、 Help(ビートルズ)、へんな女(水原弘)、HEAVEN(浜崎あゆみ)、ヘイヘイ ブギー(笠置シズ子)Hey!ミスターポリスマン(石川秀美)




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