明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


ベッドで煙草を吸わないで

 今から40年前、1969年にスタートしたテレビドラマ「プレイガール」は、東京12チャンネル(現テレビ東京)系の看板番組として人気を博し、続編も含め約5年半、全部で287話が作られた。視聴率戦争で常に劣勢だった東京12chのドル箱番組だったと言える。
このドラマは戸川昌子をトップとする「プレイガール」という国際秘密保険調査員組織がお色気たっぷりのアクションで犯罪者をやっつけるというドラマで、沢たまきを事実上のリーダーに、應蘭芳、緑魔子、真理明美、范文雀、浜かおる、桑原幸子、八代万智子、高毬子、大信田礼子、西尾三枝子、渡辺やよい、宮園純子らが入れ替わりつつメンバーとして登場、「太陽にほえろ」(72年〜86年)の女性版先駆けというイメージがあった。
沢たまきといえば、まず思い出すのがこの「プレイガール」だが、彼女は元々ジャズシンガーで、1955年に「学生歌手1号」としてデビュー、NHK紅白歌合戦にも58年と60年の2回出場している。ただし2回ともソロではなく、58年は水谷良重(現八重子)、東郷たまみとユニットで「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を、60年は有明ゆり、小割まさ江、高見アリサと4人で「或る恋の物語」を歌うという変則的な出場であった。
その沢たまきにとって唯一のオリジナルヒット曲といえるのが「ベッドで煙草を吸わないで」だった。この曲は66年発売で、当時ポップス系歌謡曲では第一人者だった岩谷時子が作詞、いずみたくが作曲している。大ヒットとまではいかなかったが、沢のハスキーでアンニュイな歌い振りがウケて、その後も歌い継がれ、歌謡史に残る曲となった。
沢たまきは当時の小沢一郎新進党*幹事長の勧めで1996年の総選挙に立候補したが落選、新進党解党後、98年に公明党の参院比例区で初当選した。任期途中の03年8月9日未明に虚血性心不全で死去、議員宿舎の浴室で発見された。まだ66歳の孤独死だった。

<タイトルが「べ」で始まる曲名>弁天小僧(三浦洸一)、紅孔雀(ラジオ主題歌)、ベサメムーチョ(桂銀淑)、ベルベット・イースター(荒井由実)、べにばな(五木ひろし)、ベスト・オブ・ヒーロー(倉木麻衣)、ベストセラー・サマー(TUBE)。横文字だがおまけでBest Friend(Kiroro)

* 新進党は、細川・羽田両政権に参加し、94年6月の羽田政権崩壊による村山・自社さ連立政権誕生で野党になった新生党、公明党、民社党、日本新党、民主改革連合などが、95年の参院選をにらみ、同年12月に結成した新党。初代党首は海部元首相で、小沢氏が幹事長をつとめた。ただし、公明党は参院議員の95年非改選組を新党に合流させず、「党」のつかない「公明」として存続させた。
 政権奪還を目指し、小沢氏が陣頭指揮して戦った96年の総選挙では、沢たまきにも白羽の矢が立ち、後に太田前公明党代表の選挙区となった東京12区から立候補したが、前参院議員の八代英太に敗れ、新進党全体でも156議席しか獲得できず敗北、その後、内紛が激化し、離党者や自民党に復帰・合流する議員が続出した。97年になって内部対立は決定的になり、同年12月に新進党は解散した。このため沢たまきは98年参院選では公明党から立候補したわけである。




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