明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


乙女の祈り

 中高生のころザ・ピーナッツが好きだった。決して美人ではなかったが、かわいくて歌はうまいし、コミカルな味もあった。「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」は毎週見ていたし、1975年の引退後に出たでビデオも買った。2年ほど前にも彼女たちのシングル盤のAB面全部を集めた8枚組CDを買ったから、今でも相当なファンといえる。
 そのピーナッツが1960年にリリースした曲が「乙女の祈り」である。68年に黛ジュンが、同名の曲をヒットさせたが、こちらはなかにし礼作詞、鈴木邦彦作曲の別の曲だ。
 ザ・ピーナッツの「乙女の祈り」は、原曲がポーランドの女性ピアニスト、テクラ・バダルジェフスカ作曲のピアノ曲で、メロディーを聞けば誰もが「あの曲か」とうなずく名曲である。この曲を宮川泰とすぎやまこういちが大幅アレンジし、当時のキングレコードのスタッフが詩をつけた*1。当時は欧米のポップス全盛時代で、59年にデビューしたザ・ピーナッツも、もっぱらポップスのカバー曲を歌っていたが、中でもベートーベンのピアノ曲「エリーゼのために」をアレンジした「情熱の花」がデビューの年に大ヒットしたので、「2匹目のドジョウ」狙いで「乙女の祈り」のアレンジカバーが企画されたのだと思う。
 私がこの曲を知ったのは1950年代のラジオ全盛期だ。明色化粧品の「桃谷順天館」がスポンサーのテーマ曲として「乙女の祈り」を使っていたのをよく聞いた。当時はオルゴールにもこの曲がよく使われていた。バダルジェフスカは1834年生まれで、18歳の時*2に作った「乙女の祈り」の楽譜が1859年にパリの音楽雑誌に紹介され、一躍有名になったが、27歳の若さで亡くなった。他にもピアノ曲を34曲書いたがほとんど知られていない。
 百人一首の「をとめのすがた しばしとどめむ」という下の句でも分かるように、旧仮名遣いでは、乙女は「をとめ*3」なので、「を」の曲は「乙女の祈り」にさせてもらった。

*1 インターネット百科事典ウィキペディアによれば、当時、キングレコードでは海外ポップスの訳詞を作るグループがあって、そのグループは「音羽たかし」のペンネームを使っていた。音羽はキングレコードがあった東京都文京区の地名から取った。
*2 テクラ・バダルジェフスカ22歳の時の作曲という説もある。
*3 「をとめ」以外に、旧仮名づかいで「を」を使う言葉には「荻」「小倉」「岡」「幼」「惜しむ」「男」「女」「踊る」「尾張」「終わり」「折る」などがある。従って曲名が旧仮名遣いでは「を」で始まる歌には以下のようなものがある。男と女のラブゲーム、男と女のはしご酒(武田鉄矢、芦川よしみ)、男なら(マヒナスターズなど)、男の純情(藤山一郎)、男の世界(ジェリー・ウォーレス)、乙女座宮(山口百恵)、乙女の祈り(黛ジュン)、踊子(三浦洸一)、踊り明かそう(ジュリー・アンドリュース)、おどるポンポコリン(BBクィーンズ)、女の港(大月みやこ)、おんな港町(八代亜紀)、女のブルース(藤圭子)、女のみち(ぴんからトリオ)、女ひとり(デューク・エイセス)







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