明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


ダニエル・モナムール

 辺見マリの「ダニエル・モナムール」は、次に出した「経験」の陰に隠れて忘れられているが、1969年に出した彼女のレコードデビュー曲である。デビュー直後に彼女がラジオにゲスト出演してこの曲を売り込んでいたころが懐かしい。辺見マリは1950年神奈川県逗子生まれで、父親はスペイン系アメリカ人。京都で育ち、高校在学中からジャズのレッスンを受け、卒業後すぐ渡辺プロ入りした。デビュー時からセクシーな容姿が話題になり、翌70年「やめて〜」という吐息混じりの歌い出しが衝撃的な「経験」でブレークした。
 1970年は演歌では藤圭子の全盛期で、アイドルは伊東ゆかり、いしだあゆみ、黛ジュン、森山良子、小川知子、佐良直美ら清純派(一見?)が多かった。そこにセクシー路線で殴り込んだのが奥村チヨや弘田三枝子で、彼女らの場合は純情路線で行き詰まり、路線転換したのに対し、辺見マリは19歳のデビュー時からお色気ムンムンで、かつてこの手の曲に厳しかったNHKでは「経験」を歌わせてもらえなかった*1。彼女の紅白出場は70年の1回だけだが、その時は「私生活」を歌っている。以後、山本リンダ、朱里エイコ、欧陽菲菲、金井克子、夏木マリとセクシー路線の歌手が続々出たが、朱里、金井、夏木はデビュー以来ヒット曲に恵まれず、山本リンダは「困っちゃうナ」からの脱却のため路線転換を図ったもので、デビューからずっとセクシー路線なのは辺見マリと欧陽菲菲だけだろう。
 さて、辺見マリは歌手生活4年目の72年に、歌手で俳優の西郷輝彦と電撃結婚して引退、1男1女をもうけたが、81年に離婚、当時4歳だった娘(辺見えみり)を引き取った*2。辺見えみりは幼少時に母から「父親も歌手で名前に西の字がつく人」とだけ教えられていたといい、そのころ人気だった西城秀樹をテレビで見て、「この人がお父さんか」と思っていたという話を、テレビかラジオかのインタビュー番組で、かなり前に聴いた記憶がある。

*1 今はこんな規制はほとんどなくなり、辺見マリも離婚後懐メロ番組に登場して「経験」を何度も歌っている。
*2 兄の辺見鑑孝がどちらの親に引き取られたかは定かでない。なお、辺見マリはその後再婚し、再び離婚している。



<曲名が「だ」で始まる歌>ダーリング(沢田研二)、大学数え唄(守屋浩)、大都会(クリスタル・キング)、大都会の恋人たち(江夏圭介&酒井和歌子)、ダイナ(ディック・ミネ)、ダイナマイトが150トン(小林旭)、ダスティン・ホフマンになれなかったよ(大塚博堂)、黙って俺について来い(植木等)、だれかが風の中で(上条恒彦)、誰かさんと誰かさん(ドリフターズ)、誰もいない海(トワ・エ・モア、越路吹雪)、誰よりも君を愛す(マヒナスターズ、松尾和子)、だんご3兄弟(速水けんたろう&茂森あゆみ)、ダンシング・オールナイト(もんた&ブラザース)、ダンシング・ヒーロー(荻野目洋子)



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