明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


ぞうさん

 「ぞうさん」は1948(昭和23)年にまど・みちお作詞、團伊玖磨作曲で世に出た童謡である。まど・みちお*1は今年101歳を迎える詩人で、1939年に「やぎさんゆうびん」(これも團伊玖磨作曲だ)を書いており、童謡作家としても有名だ。團伊玖磨(1924〜2001)はオペラや管弦楽、吹奏楽、童謡、校歌、合唱曲、映画音楽と何でも手掛けた大作曲家である。私は、音楽の教科書に載っていた「花の街」(江間章子作詞)がとても懐かしい。
 ところで、小学校時代に「かわいそうなぞう」というお話を読んで涙した覚えのある方は多いと思うが、あの話の通り、戦時中、「空襲で猛獣が逃げて人間を襲う恐れがある」という軍の命令で、全国の動物園では動物たちが次々殺された。上野動物園のジョン、トンキー、ワンリー(花子)という3頭のゾウも毒入りのエサを与えられたが食べず、注射の針も通らなかったので、結局餓死させることになった。ジョンは17日目に死んだが、後の2頭はやせ衰えながらも体を起こして、背中でもたれあって前足を上げ、鼻で万歳する芸を始めた。こうすればエサがもらえると考え、最後の力を振り絞ったようだ。見かねた飼育係が禁を破り、水の入ったバケツを運んだが、2頭とも数日後に力尽き死んでしまった。
 こんな悲劇が全国で重ねられたが、名古屋の東山動物園だけは園長や飼育係らの必死の努力で、ゾウ2頭の命を終戦の日まで守った。従って、童謡「ぞうさん」が誕生したころ、わが国には東山動物園のマカニーとエルドという2頭のゾウしかいなかったのである。
 童謡「ぞうさん」が生まれた翌年、ゾウを見たいという子どもたちの思いが実って、全国から名古屋へ「ゾウ列車」が走り、タイから2代目花子が、インドからはネルー首相の娘*2の名をもらったインディラが上野動物園に贈られた。インディラは1983年に死んだが、1947年生まれの「花子」は1954年に井の頭自然文化園に移り、今も健在である。
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 「8月15日にふさわしい話を」と考え、先週に引き続き「いろは歌シリーズ」になりました。

*1 まど・みちおは山口県周南市出身で、同市の徳山動物園の前には「ぞうさん」の歌碑が立ち、生家跡に近い岐山小学校前の地下歩道を通ると、「ぞうさん」の曲のメロディーが流れるそうだ。なお、「ヤギさんゆうびん」は「白ヤギさんからお手紙着いた 黒ヤギさんたら読まずに食べた 仕方がないのでお手紙書いた さっきの手紙のご用事なあに」という歌詞で、これも高齢者は誰もが知っている童謡だ。
*2 後に5代目インド首相となったインディラ・ガンジー(1917〜1984)。彼女はゾウのインディラが死んだ翌年、警護していたシーク教徒の警官に撃たれて死亡、後を継いだ息子のラジブ・ガンジー首相も91年に暗殺された。なお、ゾウのインディラは1934年生まれで、来日時は15歳だった。



<曲名が「ぞ」で始まる歌>族(気志団)、続・竹とんぼ(堀内孝雄)、ぞうさんのあくび(ブレッスンフォー)



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