明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


つぐない

 「窓に西日が当たる部屋で」で始まる「つぐない」は「アジアの歌姫」といわれた台湾出身の歌手、テレサ・テン(1953〜1995)が1984年に日本での歌手生活を再開して最初に発表したシングルである。荒木とよひさ*1が作詞し、三木たかしが作曲したこの歌が大ヒットしたことで、テレサは日本での演歌歌手としての地位を不動のものとしたといえる。
 テレサ・テン(ケ麗君)の両親は大陸生まれの「外省人」だが、彼女は台湾生まれで、10歳の時にラジオの「のど自慢」番組で優勝し、13歳でプロ歌手の道を歩み始めたという。豊かではなかった一家の生活を支えるため、クラブ歌手として10代を台湾で過ごした*2。
 20歳の時、音楽プロデューサー・舟木稔氏と出会い、日本での歌手活動を開始、74年3月に当時のポリドールから「今夜かしら 明日かしら」というアイドル歌謡でデビューしたがヒットせず、同年7月に出した演歌路線の「空港」でレコード大賞新人賞に輝いた。
 だが、その後は「夜のフェリーボート」がヒットした程度で、紅白歌合戦出場も果たせず*3、台湾のパスポートではなく、不正入手した他国のパスポートを使ったとして79年に日本国外退去処分となった*4。しかし彼女は香港で活動を続け、東アジア全体に人気を広げ、中国で「全球13億熱愛的巨星」*5と呼ばれるほどになり、84年、再来日を果たした。
 その後は「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」という荒木・三木コンビの曲で3年連続日本有線大賞、全日本有線放送大賞を受賞する快挙を達成し、「スキャンダル」「別れの予感」と、同じコンビでの大ヒットが続いたが、87年に住居を香港に移し、ステージよりもレコードシンガー中心の活動に変えていった。89年の北京・天安門事件をきっかけにパリへ移住、亡命した中国の民主化活動家と交流するなどの活動もしていたが、95年5月8日、静養先のタイ・チェンマイで死去した*6。42歳、あまりにも早すぎる死である。

*1 荒木とよひさ(66)はその後歌手の神野美伽(44)と結婚した。
*2 音楽ジャーナリスト・藤田正さんのインターネットマガジン「BEATS21」などによる。父親は国民党とともに台湾に移った軍人だった。 
*3 テレサ・テンの紅白初出場は85年の「愛人」で、86年と91年に「時の流れに身をまかせ」で出場している。
*4 田中角栄内閣時代の72年に日中国交正常化が行われ、時を同じくして多くの国が台湾との関係を断った。このため台湾は国際的に孤立し、台湾のパスポートでの各国入国が困難な状況が70年代末まで続いた。従ってテレサ・テンが不正パスポートを使わざるを得ない事情が当時はあったのである。
*5 「全球13億熱愛的巨星」は世界13億人の中国系の人が熱愛するスターという意味で、他に「両岸歌后(大陸と台湾の両側に人気のある歌姫)」という称賛の言葉もあった。
*6 テレサの死因は持病の気管支喘息の発作となっているが、中国当局による暗殺という説が根強くある。天安門事件以来の中国政府への批判的姿勢と、彼女の根強い大衆的人気を警戒視する空気が中国当局にあったため、そうしたうわさが広がったのだろう。



※曲名が「つ」で始まる歌はそんなに多くない。有名なのは以下の通りである。
追伸(グレープ)、ついて来るかい(小林旭)、ついてるねノッてるね(中山美穂)、津軽海峡冬景色(石川さゆり)、津軽恋女(新沼謙治)、津軽平野(吉幾三)、月影のナポリ(森山加代子など)、月がとっても青いから(菅原通々子)、月の沙漠(童謡)、月の法善寺横丁(藤島桓夫)、筑波山麓合唱団(デューク・エイセス)、ツッパリHigh School Rock'n Roll(横浜銀蠅)、翼をください(赤い鳥)、翼の折れたエンジェル(中村あゆみ)、蕾(コブクロ)、妻恋道中(上原敏)、積木の部屋(布施明)、爪(ペギー葉山)、冷たい雨(ハイ・ファイ・セット)



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