明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


思い出のグリーングラス

 あけましておめでとうございます。今年も私の駄文とお付き合いいただく皆様に心から感謝申し上げ、新年最初の惰学記いろは歌シリーズをお届けします。
                *        *         *
 トム・ジョーンズの歌で知られる「思い出のグリーングラス」は、元々カーリー・プットマンJrというアラバマ出身のシンガー・ソングライターが1965年に作詞作曲した曲だった*1。森山良子らが歌う山上路夫訳の日本語歌詞は、ふるさとに久しぶりに帰り、父母の出迎えを受け、昔のままの懐かしい我が家と子どものころよく登った樫の木、そして緑美しい草を見て、都会での傷心が癒される――という内容なので、英語の歌詞も普通の「ふるさと讃歌」だと思っていたが、実は違った。3番でドンデン返しがあったのである。
 3番の英語の歌詞*2は「そこで目が覚め、周りを見ると灰色の壁が私を覆っていて、看守と悲しそうな表情の老神父がいた。私は夢を見ていただけだったことに気づく。夜明けとともに私は両腕を取られ、再びふるさとの緑の草に触れることになる。ふるさとの皆は樫の木の陰に集まり、私と再会する。私を緑の草の下に葬るために」というものだ。「私」は死刑囚で、処刑前の夢にふるさとのグリーングラスを見たという悲しい歌なのである。
 ここで話は一転する。実は私にとっての「思い出のグリーングラス」は競走馬である。1973年生まれのグリーングラスは、名前が印象的で、母が活躍馬ダーリングヒメということもあり、デビュー戦以来注目していたが、4歳*3春シーズンは7戦2勝という平凡な成績でダービーにも出られなかった。しかし秋に急成長、12番人気で臨んだ菊花賞で、関西の期待を一身に担って4コーナーで抜け出した悲劇の名馬テンポイントを内からあっという間に捉え、2馬身1/2の差をつけ優勝した時は、馬券は取れなかったが、思わず「やった」と叫んだ。以来、テンポイント、トウショウボーイとともに73年産の3強と言われ、78年春の天皇賞、79年の有馬記念にも優勝した。ただ、3強が一緒に出たレースでは菊花賞を除きすべて3着に終わっており、活躍期間の長さ*4以外は他の2強に及ばなかった。

*1 二木紘三のうた物語というHPを参考にした。
*2 英語の歌詞の3番を同じ「二木紘三のうた物語」から以下に引用する
Then I awake and look around me  At the grey walls that surround me,
And I realize that I was only dreaming,  For there's a guard and there's a sad old padre
Arm in arm we'll walk at daybreak.  Again I'll touch the green, green grass of home.
Yes, they'll all come to see me,  In the shade of that old oak tree,
As they lay me 'neath the green, green grass of home.
*3 競走馬の年齢は、2000年まで日本では数え年表記だったが、国際レースの増加などに配慮して01年からは外国と同じ満年齢(といっても誕生日基準ではなく1月1日に一斉に1歳加算される)表記になった。グリーングラスの時代は数え年表記なので、4歳は今の3歳のことで、ダービー年齢となる。
*4 グリーングラスは足元に不安を抱えながらも7歳の年末まで走り、有馬記念で優勝し、79年の年度代表馬になり、通算26戦8勝で引退した。天馬と言われたトウショウボーイはグリーングラスと同じ新馬戦に圧勝(グリーングラスは4着)、皐月賞まで4連勝し、天馬と呼ばれたが、断然1番人気のダービーはクライムカイザーの2着に敗れ、秋の菊花賞も1番人気だったが、3着に終わった。それでも天馬人気は衰えず、有馬記念に1番人気で出走、テンポイント以下に快勝した(有馬記念の予備登録は菊花賞前に行われたため、まだ無名のグリーングラスは登録漏れで不出走だった)。5歳の春は疲労などで休み、半年ぶりに出た宝塚記念でテンポイント、グリーングラス以下に快勝した。以後再び4連勝して天皇賞を迎えたが、7着に敗れ、連覇を期して臨んだ有馬記念もテンポイントとのマッチレースのような死闘の末2着となり、そのまま15戦10勝で引退した。テンポイントは3歳の8月に函館でデビュー、3歳時は10馬身、9馬身、7馬身と圧勝の連続、関西の期待を背負って無敗の5連勝で皐月賞に臨んだが、トウショウボーイに完敗の2着に終わった。体調を崩したまま出走したダービーはレース途中に剥離骨折する不運もあり7着、秋は復帰2戦目で菊花賞に臨み、ライバルトウショウボーイを交わしたものの、グリーングラスに敗れた。しかし5歳時は宝塚記念でトウショウボーイに敗れたほかはほぼ無敵、春の天皇賞と年末の有馬記念に勝って年度代表馬に輝いた。しかし、海外遠征前の小手調べにと出走した6歳初戦の日経新春杯でレース中に骨折、多くのファンの願いもむなしく蹄葉炎を併発し、骨折から42日後の3月5日に死去した。18戦11勝。



※「お」で曲名が始まる歌は数多い。厳選して?33曲を選んだ。おふくろさん(森進一)、面影の都(氷川きよし)、贈る言葉(海援隊)、奥飛騨慕情(竜鉄也)、大きな古時計(平井堅)、俺あ東京さ行ぐだ(吉幾三)、おまえさん(木の実ナナ)、大阪ラプソディー(海原千里・万里)、おまえとふたり(五木ひろし)、大阪しぐれ(都はるみ)、オバケのQ太郎(石川進)、大阪の女(ザ・ピーナッツ)、お月さん今晩は(藤島桓夫)、おもいで(布施明)、おもいで酒(小林幸子)、想い出の渚(ワイルド・ワンズ)、想い出のスクリーン(八神純子)、想い出まくら(小坂恭子)、思い出のアルバム(芹洋子)、愚か者(近藤真彦)、大阪で生まれた女(BORO)、お嫁サンバ(郷ひろみ)、お嫁においで(加山雄三)、およげたいやきくん(子門真人)、おもちゃのチャチャチャ(真理ヨシコ)、お久しぶりね(小柳ルミ子)、おかあさん(森昌子)、俺たちの旅(中村雅俊)、おてもやん(民謡)、お江戸日本橋、おぼろ月夜、お正月(唱歌、童謡)



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