明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談

市民が主役

惰学記


ブルーライト・ヨコハマ

 ブルーライト・ヨコハマは、いしだあゆみ1969年の大ヒット曲である。彼女は大阪府池田市の美人4姉妹*1の次女で、姉は68年のグルノーブル冬季五輪のフィギュアスケート代表だった。彼女自身もスケートをやっていたが、芸能プロにスカウトされ、1960年、大阪で初舞台を踏み、その後上京した。いずみたくに師事し、64年1月からのテレビドラマ「七人の孫*2」に出演して人気上昇、同年4月にはビクターからレコードデビューした。
 しかし歌の方は68年2月までに23曲もシングルを出しながら、2曲目の「サチオ君」が少し話題になった程度で、ほとんどヒットしなかった。有名だったのはハウスバーモントカレーのCMソングだけで、歌手としてテレビや舞台で歌ったのはポップスのカバー曲が多かったようだ。リサイタルで、「何かリクエストはありませんか?」と聞いたら、「カレーの歌を歌ってください」と言われて大いにクサったという話を聞いたことがある。
 68年春、いずみたくの下を離れ、レコード会社もコロムビアに移ってから、彼女の歌は一気に花開いた。6月の移籍第1弾「太陽は泣いている*3」は筒見京平作曲のアップテンポなポップス歌謡で、大ヒットではなかったが話題を呼び、「夜のヒットスタジオ」などへの登場も増えた。そして、同年12月25日に「ブルーライト・ヨコハマ」が発売された。
 リズム感のいいメロディーに、いしだあゆみの少し鼻にかかったハスキーボイスがマッチして、この曲は爆発的なヒットとなり、百万枚以上を売り上げた。彼女はこれをステップにヒット曲を連発、「喧嘩のあとでくちづけを」「あなたならどうする」「何があなたをそうさせた」「砂漠のような東京で」「幸せだったわありがとう」「待ちわびても」「港・坂道・異人館」など印象的なタイトルのヒット曲を出し続けた*4。紅白にも10回出場しているが、80年代半ばからは女優専門で、歌を聞いたことがない。「ちょっと淋しいことですね*5」

*1 後にいしだあゆみの妹石田ゆりと結婚した作詞家のなかにし礼が4姉妹とその両親をモデルに「てるてる坊主の照子さん」という小説を書き、これがNHKの朝の連続ドラマとなり、03年秋から翌春まで放映された。岸谷五朗、浅野ゆう子が両親、4姉妹を紺野まひる、上原多香子、上野樹里、石原さとみが演じた。
*2 「七人の孫」はTBS系列月曜午後8時からの「水戸黄門」などでおなじみの「ナショナル劇場」で、1964年の1月〜7月、65年6月〜66年2月の2度、シリーズで放映された。森繁久弥が明治生まれの祖父、大坂志郎と加藤治子が両親、七人の孫は高橋幸治、松山栄太郎、いしだあゆみ、島かおり、勝呂誉、長谷川哲夫、田島和子が演じた。いしだあゆみはこの番組の縁で森繁に可愛がられ、「ブルーライト・ヨコハマ」がヒットした時は、森繁も大変喜んだという。
*3 後に02年、この曲をサザン・オールスターズの原由子が「東京タムレ」というアルバムでカバーしている。なお、このアルバムには夫・桑田佳祐とのデュエットで「いつでも夢を」が収録されており、桑田の声が橋幸夫そっくりなのに驚かされる。
*4 いしだあゆみは10年近くにわたりヒット曲を出し続けたのに、なぜか歌謡賞レースには無縁だった。しかし女優としては78年に日本アカデミー賞と報知映画賞の助演女優賞、83年、87年、97年の3回日本アカデミー賞の主演女優賞を獲得、86年にはブルーリボン賞、キネマ旬報賞、毎日映画コンクール報知映画賞の女優賞を総なめにした。映画の代表作には「青春の門・自立編」「駅〜ステーション〜」「火宅の人」「時計」「学校U」などがある。
*5 77年4月リリースのヒット曲「ちょっと淋しい春ですね」を借用した。


<曲名が「ブ」で始まる歌は、やはりカタカナのタイトルばかりである>ブーツを脱いで朝食を(岩崎宏美)、ブーメラン・ストリート(西城秀樹)、ブギ浮きI LOVE YOU(田原俊彦)、ブルー(渡辺真知子)、ブルーシャトウ(ブルーコメッツ)、ブルージーンズ・メモリー(近藤真彦)、ブルー・ライト・ヨコスカ(Mi-Ke)、ブルージーン・ブルース(弘田三枝子)などが主なものだ。
 なお、余談だが、宇徳敬子らの女性トリオMi-Keの「ブルー・ライト・ヨコスカ」は「ブルーライト・ヨコハマ」を意識して91年につくられた曲で、歌詞の一部に「ブルーライト・ヨコハマ」が借用されている一種のパロディーソングである。彼女らはグループサウンズの曲名をつないだ「想い出の九十九里浜」でデビュー以来、こうした路線で93年まで活躍し紅白にも91年と92年の2回出場している。



<back>
 HOME / ごあいさつ / 自分史(1946〜2002) / 父との別れ / 憂楽帳 / 惰学記 / 父の思い出 / 後援会 / 大きなうた / 余談独談

 大橋建一へのご意見等は、こちらから。  E-Mail : info@ken-ohashi.jp url