明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


プカプカ

 純粋の日本語タイトルで「ぷ」で始まる曲名はおそらく「プカプカ」以外にはないはずだ*1。「プカプカ」は広辞苑によれば@小型・中型の吹奏楽器を吹き鳴らすやや高い音*2A口から幾度も煙や空気を吐くさま。盛んにたばこを吹かすさまB水面や空中にモノが浮かび漂っているさま――とあり、このタイトルはAに当たるから確かに日本語である。
 「♪俺のあん娘はたばこが好きで いつもプカプカプカ ♪体に悪いからやめなっていっても いつもプカプカプカ」という歌詞で始まる「プカプカ」は、シンガーソングライター西岡恭蔵(1948〜1999)の唯一のヒット曲と言ってもいい代表曲だが、来歴は少々ややこしい。話は反戦フォーク全盛時代の1960年代にさかのぼる。当時、フォークの神様と言われたボブ・ディランにちなんだ「ディラン」というフォーク喫茶が大阪にあり、西岡恭蔵は大塚まさじ、永井洋らのミュージシャンとともに、そこにたむろしていたようだ。
 3人は「ザ・ディラン」というグループ名で活動したが、71年には西岡が脱退し、大塚と永井は「ザ・ディランU」というデュオして再出発した。その「U」が72年にリリースしたのが「プカプカ」である。つまり、脱退した西岡が作詞・作曲した曲*3が「ザ・ディランU」の最大のヒット曲となり、多くの歌手がカバーする名曲*4となったのである。
 さて、西岡恭蔵の50年余の生涯は、とても悲しい物語である*5。西岡は70年ごろ、フォーク喫茶「ディラン」で知り合った和歌山市出身の安希子さんと結婚、その後2人は埼玉県に移り住み、安希子夫人は西岡の音楽活動を支え、作詞の手伝いを始めた。「KURO」のペンネームで西岡の曲はもちろん、松田優作や山下久美子、太田裕美らに詞を書いた。
 だが彼女は、乳がんのため97年4月4日、46歳の若さで死去、西岡はその年鎮魂アルバム「Farewell Song」を発表するが、2年後の命日前日に彼女の後を追って自殺した。

*1 なお、プカプカ以外に「ぷ」で始まる曲名の歌は、釜山港へ帰れ(渥美二郎)、プラネタリウム(大塚愛)、プラネタリウム(いきものがかり)、プルシアンブルーの肖像(安全地帯)、プレイバックPart2(山口百恵)、プロポーズ(TUBE)などがあるが、いずれも外来語である。
*2 ちなみに、大型の吹奏楽器を吹き鳴らす低い音はブカブカだそうだ。
*3 インターネットでこの曲を検索すると、作詞・作曲者名が「象狂象」となっているが、これは西岡のペンネームである。なお、脱退後ではあったが、西岡自身もこのレコーディングに参加したという。
*4 「プカプカ」は西岡自身はもちろん、桑田佳祐、福山雅治、奥田民生、原田芳雄、桃井かおり、泉谷しげる、大槻ケンヂ、つじあやの、クミコ、大西ユカリらがカバーしている。
*5 「プカプカ」の歌詞は西岡夫妻の運命を暗示しているようでもある。1番は「♪俺のあん娘はたばこが好きで いつもプカプカプカ ♪体に悪いからやめなっていっても いつもプカプカプカ ♪遠い空から降ってくるっていう 幸せってやつがあたいにわかるまで ♪あたいたばこをやめないわ プカプカプカプカプカ」、2番は「♪スウィングが好きで」、3番は「♪男が好きで」、4番は「♪うらないが好きで」となり、「♪あんたとあたいの死ねる時わかるまで あたいうらないやめないわ」で終わっている。






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