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市民が主役

惰学記


デビー・クロケットの唄

 「テネシー生まれの快男児 その名はデビー・クロケット*1 わずか3つで熊退治 その名を西部にとどろかす」という歌詞が今でもすらすら思い出せる「デビー・クロケットの唄」は1955年のディズニー映画「デビー・クロケット〜鹿皮服の男」のテーマ曲で、レイモンド服部の日本語訳詞を小坂一也が歌ってかなりヒットしたように記憶している。
 私はこの映画を昔の和歌山の映画街にあった国際劇場*2で小学校4年生ごろ見た覚えがある。米国史の英雄デビー・クロケット(1786〜1836)の生涯を描いたもので、主演はフェス・パーカー。1960年のジョン・ウエイン監督主演作品「アラモ」と同じ話である。
 テネシー州の片田舎で育ったデビー・クロケットが1813年に州兵となり、後に大統領となるジャクソン将軍の下で、インディアンとの戦いに勝ち、名声を得た。27年に下院議員選に出馬し当選、鹿皮服でワシントンに乗り込み、型破りな活躍をするが、35年に落選した。その後、メキシコからの独立を目指すテキサスの暫定政府に共鳴して、36年2月にアラモ砦の守備に就いたが、3月6日、奮戦むなしく砦は陥落、デビー・クロケットは処刑された。だが、このアラモ砦の玉砕に勇気づけられた独立義勇軍は、同年4月末にメキシコ軍を壊滅させ、テキサスは独立を果たした*3――ざっと言えばこういう筋の映画だ。
 元の歌はフェス・パーカー自身が歌ったが、一代記を叙事詩につづった歌詞で、20番まであるという。小坂一也(1935〜1997)はカントリー&ウェスタンの歌手として1950年代後半に大活躍し、「青春サイクリング」や「北風」、プレスリーの「ハート・ブレイク・ホテル」などがヒット、その後も俳優として、やや気の弱いハンサム男役でよく起用された。女優十朱幸代と15年近い交際の末、74年に結婚したが、1年持たずに破綻し話題になった。
 なお、「鹿皮服の男」主演のフェス・パーカーは2010年3月18日に85歳で死去した。

*1 米国が1961年に開発した世界最小の戦術核兵器M-388に「Davy Crockett」の愛称がつけられたが、これはもちろんアメリカ開拓史上の英雄であるデビー・クロケットの名に由来している。
*2 元寺町1丁目、築映があった角から入った住吉神社の向かい辺りにあった。この映画を見た当時は洋画専門封切り館だったが、後に大映の封切り館となった。
*3 独立義勇軍の実態はほとんどが米国南部各州の州兵だったとされる。1836年の独立からわずか10年後にテキサスは米国に併合されており、テキサス独立戦争自体が米国の領土拡大政策に操られたものだったともいえる。


※曲名が「で」で始まる歌=出逢った頃のように(E.L.T)、ディスコ・レディー(中原理恵)、デカンショ節(民謡・学生歌)、出船(藤原義江など)、二重唱=デュエット(岩崎宏美)、デリケートに好きにして(アニメ主題歌)、田園(玉置浩二)、伝説の少女(観月ありさ)、電話でキッス(飯田久彦など)



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