明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


夫婦善哉

 石川さゆりは1958年1月30日生まれで、歌手デビューは73年3月、「かくれんぼ」という曲だった*1。同じホリプロの森昌子が72年7月、「せんせい」でデビューし、昌子と同学年の桜田淳子が73年2月、山口百恵が同年5月に相次ぎデビュー、アイドル街道を突っ走っていたが、学年ではこの「花の中3トリオ」より1年先輩で歌唱力もあった石川さゆりは置き去りにされた。ホリプロは、さゆりと、同じ事務所の昌子、百恵で「ホリプロ3人娘」として売り出す予定だったが、当時超人気のオーディション番組「スター誕生」出身の3人による「花の中3トリオ」の企画に敗れた形で「3人娘」は自然消滅となった。
 73〜76年に出した14枚のシングルには「青い月夜の散歩道」「ちいさな秘密」「十九の純情」「あいあい傘」など良い曲もあったがヒットせず、この間74年末には百恵・友和主演の「伊豆の踊子」に踊り子(山口百恵)の友人で病気になって死んでしまう酌婦という気の毒な役で出演した。百恵ファンの私も映画を見て石川さゆりに同情した覚えがある。
 さゆりが一気に開花したのはご存知の通り77年1月の「津軽海峡・冬景色」(阿久悠作詞、三木たかし作曲)である。今はなき青函連絡船*2を舞台に傷心の帰郷を歌ったこの曲は、出だしの3連音符連発のユニークさもあって人々の心をとらえ、歌謡史に残る大ヒットとなり、続く「能登半島」「暖流」も売れて、彼女は演歌歌手としての地位を確立した*3。
 その後は83年を除き紅白に連続出場し、そこそこの活躍が続いていた*4が、「津軽海峡」から9年後の86年、シングル45枚目の「天城越え」(吉岡治作詞、弦哲也作曲)で2度目の大ブレークとなった。「夫婦善哉」は「天城越え」の余韻覚めやらぬ翌87年2月にリリースされた。女の情念をぶつけたような前作とは異なり*5、夫婦のきずなを歌い上げる軽いタッチの曲で、村田英雄の「夫婦春秋」に似たところもあるが、私は気に入っている。

*1 ウィキペディアによると、熊本出身の彼女は小学生時代から歌手にあこがれ、5年生の時、一家で横浜に移ったという。72年にフジテレビのオーディション番組で合格し、翌年コロンビアから歌手デビューした。
*2 青函トンネルが完成し、青函連絡船が廃止されたのは88年3月13日で、95年7月、青森港の青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸横に、96年7月には津軽半島最北端の竜飛崎に、それぞれこの歌の歌碑が建てられた。
*3 「津軽海峡・冬景色」は2011年の紅白歌合戦でも彼女が紅組のトリとして歌った。77年にこの曲が大当たりしたため、同じ阿久悠、三木たかしコンビで「旅情3部作」と銘打って「能登半島」「暖流」が制作された。
*4 80年「鴎という名の酒場」、82年「漁火挽歌」、84年「東京めぐり愛」(大関・琴風とのデュエット)、85年「波止場しぐれ」などコンスタントに話題曲を出したが、演歌全体の不振を打破するパワーはなかった。
*5 「夫婦善哉」も吉岡治作詞、弦哲也作曲である。なお、彼女はその後昨年の第62回紅白まで連続出場しており、89年の「風の盆恋歌」(なかにし礼作詞、三木たかし作曲)も歌い継がれる名曲である。


<タイトルが「め」で始まる曲> 迷宮のアンドローラ(小泉今日子)、名月赤城山(東海林太郎)、明治一代女(市丸)、メイン・テーマ(薬師丸ひろ子)、夫婦鏡(殿様キングス)、夫婦坂(都はるみ)、夫婦春秋(村田英雄)、め組のひと(RATS&STAR)、めぐり逢い紡いで(大塚博堂)、めだかのがっこう(童謡)、めだかの兄妹(わらべ)、芽ばえ(麻丘めぐみ)、メモリー・グラス(堀江淳)、メランコリー(梓みちよ)、メリーさんのひつじ(童謡)、メリー・ジェーン(つのだ☆ひろ)



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