明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


番外・四季の歌

 “本編”から3週間近く開いてしまったが、「四季の歌」はぜひとも触れたい「し」で始まる曲名の歌なので、番外編として書くことにした。この曲の作詞・作曲は演歌歌手・神野美伽の夫である荒木とよひさだ。荒木はテレサ・テンの曲などで多くのヒットを放っている*1が、「四季の歌」が作詞・作曲家としてのデビュー作で、1972年に発表された。
 ウィキペディアには、荒木が日大のスキー部時代に新潟県妙高市の関温泉で骨折し、入院した時に、世話になった看護師へのお礼として作った曲が口コミで広まったとある*2。
 ところで、「四季の歌」といえば芹洋子がオリジナルのような気がするが、彼女がこの曲をヒットさせたのは1976年のことだ。私の記憶でも、芹洋子の前に、いぬいゆみという歌手が「四季の歌」を歌っていたという薄らとした記憶があるが、ウィキペディアにはさらにそれより前、片山知子という今も関西で活動している歌手が出していることが書かれていた。ただし、この記述には片山知子盤は1970年とあり、これは明らかな誤りである。
 さて、「四季の歌」をどうしても取り上げたかったのは、この歌が37年前1975年に急死した私の父のお気に入りの曲だったからである。まだ芹洋子盤が出る前に父はこの曲を知り、いろいろな場所で愛唱していたようだ。まだカラオケが普及してない時代のことだ。
 ご存知の通り、四季の歌は「春を愛する人は」「夏を〜」「秋を〜」「冬を〜」の4番まででが普通で、後がハミングとなるが、父は以下のような5番を「創作」して歌っていた。
 「四季を愛する人は 僕らの仲間だよ 悲しいときも うれしいときも 共に語ろう」*3
 故郷に帰り市長になってしばらく後、宴席で「四季の歌」を父の思い出を込めて歌ったら、なぜか場が凍りついたことがあった。スキャンダルで失脚した前の市長がこの歌を愛唱していたのだそうで、私は全く知らなかったが、以後歌いにくくなってしまった。

*1 五木ひろし「そして……めぐり逢い」、桂銀淑「すずめの涙」、テレサ・テン「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」「別れの予感」、堀内孝雄「恋唄綴り」「竹とんぼ」、森昌子「哀しみ本線日本海」、わらべ「めだかの兄妹」「もしも明日が」などが荒木とよひさの主なヒット曲である。
*2 1972年には荒木はすでに29歳になっているので、やや話が合わない気がする。
*3 ところが「四季の歌」ほとんど知られていない本物の5番があったのだ。以下がその歌詞である。
「春夏秋冬愛して 僕らは生きている 太陽の光浴びて 明日の世界へ」。これより、父の5番の歌詞の方がいいように思うのは「親バカ」ならぬ「息子バカ」か。


<曲名が「し」で始まる歌(前回の続き)>上海帰りのリル(津村謙)、シャワーな気分(田原俊彦)、上海の花売り娘(岡晴夫)、修学旅行(舟木一夫)、秋止符(アリス)、羞恥心(羞恥心)、終着駅(奥村チヨ)、出世街道(畠山みどり)、春夏秋冬(泉谷しげる)、少女A(中森明菜)、少女人形(伊藤つかさ)、衝動(B`z)、少年時代(井上陽水)、少年探偵団(テレビ主題歌)、精霊流し(グレープ)、昭和枯れすすき(さくらと一郎)、昭和ブルース(天知茂)、暑中お見舞い申し上げます(キャンディーズ)、知らなかったの(伊東ゆかり)、知りすぎたのね(ロス・インディオス)、知りたくないの(菅原洋一)、シルエット・ロマンス(大橋純子)、知床旅情(加藤登紀子、森繁久弥)、白い色は恋人の色(ベッツィ&クリス)、白い海峡(大月みやこ)、白いギター(チェリッシュ)、白い雲のように(猿岩石)、白い蝶のサンバ(森山加代子)、白い花の咲く頃(岡本敦郎)、白いパラソル(松田聖子)、白いブランコ(ビリー・バンバン)、白いページの中に(柴田まゆみ)



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