明日 I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役

惰学記


ひとり寝の子守唄

 加藤登紀子は1943年12月生まれ。62年に都立駒場高校*1から東大文Vにストレートで入ったが、文学部西洋史学科*2に進学後、第2回アマチュアシャンソンコンクールで優勝し、プロ歌手としてデビューした*3ため2年留年し、68年3月に卒業した。私も同じ文Vだが、駒場で1年留年した*4ため、本郷の文学部国史学科に進学したのは68年4月で、キャンパスで加藤登紀子の顔を見たことはなかった。ただ、この68年3月には東大紛争*5の発端となった医学部紛争が始まっており、3月28日の卒業式は、その前日に安田講堂が医学部の学生と、研修医らの青医連(青年医師連合)メンバーらに占拠されたため中止となった。講堂周辺で「卒業式粉砕デモ」が繰り広げられ、その中に加藤登紀子が加わっていたことがマスコミの注目を浴びた*6。彼女は60年安保闘争で死亡した樺美智子さんを尊敬しており、駒場時代は『活動家』の端っくれだったため、このデモに参加したらしい。
 彼女が後に獄中結婚した同志社大出身の藤本敏夫はこの時期、ブンド*7系活動家として上京して活動中で、加藤登紀子にコンサート出演を申し入れ、断られたのが縁で彼女と付き合い始めたという。そして藤本が68年11月に防衛庁突入事件の指揮者として逮捕され、半年余りの拘置所生活を送っている時に加藤は「ひとり寝の子守唄」を作詞作曲した*8。
 さて69年1月の安田講堂事件を境に東大紛争も、全国の学園を席巻した全共闘も下火となって学生運動は冬の時代を迎え、組織は四分五裂となった*9。藤本は保釈後内ゲバを批判して活動を離れたが、72年4月末に防衛庁事件の実刑判決確定で収監され、直後の5月6日に獄中結婚、12月には長女美亜子*10が生まれた。藤本が出所したのは74年であった。
 「ひとり寝の子守唄」は69年12月に発売されて大ヒット、翌年のレコード大賞最優秀歌唱賞に輝き、加藤はヒット歌手となったが、曲にはその時代らしい秘話があったわけだ。

*1 加藤登紀子は旧満州・ハルビン生まれで、1945年8月9日のソ連軍侵攻時に命からがら脱出、帰国した。都立駒場高校の1学年下に吉永小百合が入学したが、彼女は芸能活動が忙しく、翌年新宿の精華学園(今は廃校)に転校した。
*2 当時の正式名称は「文学部西洋史専修課程」で、「西洋史学科」は通称。私が進学した「国史」(今は日本史と呼ぶらしい)も同様である。
*3 今でこそ東大在学や卒業の女性タレントは大勢いるが、当時は珍しく、加藤登紀子はアイドル的存在となり、67年リリースの「赤い風船」でその年のレコード大賞新人賞を受賞した。当時は最優秀新人賞はなく、荒木一郎と加藤の二人が新人賞だった。
*4 私は英語の成績が悪くて留年してしまった。以来ずっと英語で苦労している。
*5 当時闘争の渦中にいた人間としては「東大闘争」と言いたいところだが、一般的表現に合わせて「東大紛争」とここでは表現した。
*6 私も当日本郷に出かけたが、このデモには加わらず、安田講堂近くの芝生で見物人をしていた。デモ隊の中に加藤登紀子がいたのを見たかどうか記憶はあいまいだ。安田講堂の卒業式が流れたので、各学部・学科ごとにささやかな卒業パーティーが行われたようだが、その時西洋史学科にマスコミが大勢駆けつけたので、教授の一人が「うちの学科も最近は学問的に世間の注目を集めてきたようだ」とつぶやき、同僚に「あれは加藤登紀子を取材に来たのですよ」と言われてきょとんとしていたという話を何十年か後に聞いた。それほど、当時の古手に教授は浮世離れしていたらしい。
*7 ブンドはドイツ語で同盟と言う意味で、60年安保闘争の時に共産党を離れた全学連主流派が組織した「共産主義者同盟」の略。60年安保後四分五裂となったが、67年の羽田闘争のころから大同団結の機運が盛り上がり、中核派、反帝学評とともに反日共系の「三派全学連」を結成、後に中核派と分裂し、「反帝全学連」に移行した。藤本はその反帝全学連委員長となって同志社大から上京、明治大学を拠点に活動していた。若いころの藤本はハンサムで演説もうまく、女子学生あこがれの的だったといわれる。
*8 ウィキペディアの記述を参考にした。
*9 注7に記した通りブンドには元々関西派、黎明派、ML派などいくつかの潮流があり、この時期に再び解体、後によど号ハイジャック事件を起こした赤軍派が生まれ、あさま山荘事件やリンチ殺人などの連合赤軍へとつながっていった。
*10 藤本は2002年、58歳で死去したが、加藤との間に3人の女の子があり、75年の出所後に生まれた藤本八恵は「Yae」という名で歌手活動をしている。


<曲名が「ひ」で始まる歌>東へ西へ(井上陽水)、銃爪=ひきがね=(ツイスト)、蜩(長山洋子)、ひこうき雲(ユーミン)、氷雨(日野美歌、佳山明生など)、悲惨な戦い(なぎらけんいち)、避暑地の恋、ひまわりの小径(チェリッシュ)、ひだまりの詩(Le Couple)ひと雨くれば(小柳ルミ子)、人恋しくて(南沙織)、ひと夏の経験(山口百恵)、人の気も知らないで(淡谷のり子)、ひとひらの自由(GLAY)、瞳そらさないで(ZARD)、瞳はダイアモンド、秘密の花園(松田聖子)、瞳をとじて(平井堅)、ひとり酒場で(森進一)、ひとり薩摩路(水森かおり)、ひとり咲き(CHAGE&ASUKA)、ひとりじゃないの(天地真理)、ひとりぼっちの部屋(高木痲早)、人を恋うる歌(森繁久弥)、ひなげしの花(アグネス・チャン)、火の国へ(石川さゆり)、火の国の女(坂本冬美)、日の丸の旗(唱歌)、ひばりの佐渡情話(美空ひばり)、緋牡丹博徒(藤純子)、ひまわり(福山雅治)、ひまわり娘(伊藤咲子)、100%…SOかもね(シブガキ隊)、100%男女交際(小泉今日子)、百万本のバラ(加藤登紀子など)、ひょっこりひょうたん島(前川陽子)、ひらけチューリップ(間寛平)、陽はまた昇る(アラジン)、ヒーロー(FUNKY MONKEY BABYS)




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