先週、ザ・ピーナッツ、伊藤エミ*1の訃報を聞いてショックを受けた。1975年の引退後も伝説のデュオとして私も含め*2多くのファンがいた。謹んでご冥福を祈りたい。 |
ところで、60年代にザ・ピーナッツと共に渡辺プロの屋台骨を支えたのがコミックバンド出身のハナ肇とクレージーキャッツ*3である。1961年6月から日テレ系でザ・ピーナッツとクレージーキャッツがレギュラーのコメディー番組「シャボン玉ホリデー」がスタート、歌の合間に出演者がコントを演じ、植木等の決め台詞「お呼びでない? こりゃまた失礼いたしました」で全員ズッこけるのが人気を呼び、11年余も続く長寿番組となった。 |
「スーダラ節」は、「シャボン玉ホリデー」の構成と音楽を担当していた青島幸男*4と萩原哲晶*5が作詞作曲、クレージーのメンバーの中で抜群に歌がうまかった植木等がメインボーカルとなって61年8月20日にリリースされた彼ら初のシングルで、翌62年にかけて爆発的なヒットとなった。これがきっかけとなって植木が歌うサラリーマンものの曲が次々出され、特にシングル第2弾の「ドント節」(62年1月20日発売)は「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」という迷セリフで一世を風靡、62年3月15日には大映映画の「スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねェ」、2ヵ月も経たない5月12日には「サラリーマンどんと節 気楽な稼業ときたもんだ」が公開される超売れっ子となった。 |
その後、事情は分からないが映画は東宝製作に変わり、71年までに「無責任シリーズ」「日本一シリーズ」など30本が公開された。高度成長期に入って日本人の価値観に変化が生じ、汗水たらして働くより、よく言えば余裕で、悪く言えば気楽に世渡りしようという空気が生まれてきた時代の反映と言えよう。70年代になるとブームは去ったが、植木は90年に突如甦り、「スーダラ伝説」がオリコントップ10入りして*6紅白に64歳で出場した。 |
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<曲名が「す」で始まる歌>スカーレット(スピッツ)、姿三四郎(姿憲子)、好きさ好きさ好きさ(カーナビーツ)、好きだった(鶴田浩二など)、好きになった人(都はるみ)、すきま風(杉良太郎)、スキャンダル(テレサ・テン)、スキャンダル・愛の日々(山口百恵)、好きよ!キャプテン(リリーズ)、過ぎ去りし日々(ALFEE)、スク・スク(ザ・ピーナッツ)、少しは私に愛をください(小椋佳)、すごい男の唄(三好鉄生)、スシ食いねェ(シブがき隊)、鈴懸の径(灰田勝彦)、すずめ(増田恵子)、すずめの学校(童謡)、すずめの涙(桂銀淑)、スターダスト・トレイン(石川秀美)、スターダスト・メモリー(小泉今日子)、素敵なメモリー(ジョニー・ソマーズ)、素敵にシンデレラ・コンプレックス(郷ひろみ)、捨てられて(長山洋子)、ストロボ(広瀬香美)、素直に言えなくて(ZARD)、砂に消えた涙(弘田三枝子など)、砂山(唱歌)、スニーカーぶるーす(近藤真彦)、昴(谷村新司) |