「スーダラ節」の次が「ズンドコ節」では芸がないが、お許しいただきたい。「アキラのズンドコ節」「ドリフのズンドコ節」「きよしのズンドコ節」と、何度もリメークされて歌い継がれてきた歌である。ウィキペディアによると、元々は戦時中海外に送られた兵士たちが、軍隊生活のつらさを紛らすために歌った「兵隊節」の一つで、作詞作曲者は不詳だ。終戦直後の1945年ごろ、復員兵によって「海軍小唄*1」の名で世間に広まったようだ。 |
2年後の1947年、田端義夫が「ズンドコ節(街の伊達男)」としてヒットさせ、この時「ズンドコ節」というタイトルが初めてつき、以後その名が定着した。田端義夫はその2年後にも安城美智子とのデュエットで別バージョンの「ズンドコ桜」をリリースしている。 |
小林旭は1956年に日活で映画デビューし、石原裕次郎の「タフガイ」に並ぶ「マイトガイ」として「渡り鳥シリーズ」などで売り出した。58年に歌手デビュー、2枚目のシングル「ダイナマイトが150d*2」がヒットし、歌手としても活躍を開始した。60年3月に映画「海から来た流れ者*3」の主題歌として、兵隊節の一つである「ダンチョネ節」を発売、6月にシリーズ第2弾「海を渡る波止場の風」の挿入歌として「アキラのズンドコ節」を「鹿児島おはら節」のB面で出したところ、ズンドコの方が当たった。このズンドコは歌詞が男女の恋物語に変わり*4、遠藤実の手で新しいメロディーが付け加えられている。 |
それから9年後の69年11月に「ドリフのズンドコ節*5」が大ヒットした。80万枚を売り上げ、70年の年間2位になった。今の40〜50代はドリフでこの曲を初めて知った人が大半だ。そして02年、氷川きよしが「きよしのズンドコ節*6」を出した。演歌としては異例のオリコン5位まで上昇した。メロディーは現代風にアレンジされているが、「アキラのズンドコ節」に似ており、水森英夫作曲*6と堂々と書くほどの独創性は感じられない。 |
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<曲名が「ず」で始まる歌>ずいずいずっころばし(童謡)、ずっと好きでいいですか(松浦亜弥)、ズルい女(シャ乱Q)、ずっとあなたが好きでした(坂本冬美、ビリーバンバン) |