このシリーズも番外編を含め全78回書いてきたが、「何か1曲お忘れじゃあござんせんか」という声が聞こえてくる気がする。和歌山市のご当地ソング「和歌山ブルース」を取り上げていないのが気になって仕方がないのである。そこで、「わ」の番外編*1を書く。 |
「和歌山ブルース」を44年間歌い続けた古都清乃さんは実は群馬県太田市出身*2で、元々和歌山には無縁だった。1965年、18歳で作曲家・吉田正に弟子入りしてレコードデビュー*3、デビュー4年目の68年9月に8枚目のシングルとして「串本育ち」を出した。 |
よくある話だが、「和歌山ブルース」(吉川静雄作詞、吉田正作曲)はそのB面で、もちろん最初は「串本育ち」の方が有名だったが、和歌山市を中心にじわじわと「和歌山ブルース」が浸透、発売から11年も後の1979年、九州で火がつき、大阪の有線放送にリクエストが相次ぎ始め、ラジオ、テレビにも広まったという。一説*4には、住友金属和歌山製鉄所には九州出身の職員が多く、彼らがこの歌を覚え、里帰りして広めたといわれる。 |
こうして歌い継がれること44年、今や「ご当地・歌謡ブルースランキング」の7位*5を占める「和歌山ブルース」は、地元には音の出る歌碑や「ミュージアム」もできる*6ほど定着しており、古都さんも「第二の故郷」との思いで毎年必ず和歌山市を訪れている。 |
吉田正の生地である茨城県日立市に吉田正記念館があり、昨年は3月12日まで「古都清乃展」が開催されていた。私も古都さんの誘いを受け、本当なら最終日12日のリサイタルに行くところだったが、どうしても日程の都合がつかず3月6日に訪問した。駅まで彼女が迎えてくれて記念館を案内していただいたが、その5日後が東日本大震災である。東北に近く海沿いの日立も被害は大きく、彼女は11日に日立入りしたものの、余震の続く寒さと恐怖の一夜を明かし、結局公演は中止となった。12時間かけて東京に戻ったという。 |
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なお、次回からは「歌シリーズアルファベット編」をお届する。 |
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