「C」の番外編として、石川優子の「Cinderella Summer」について書くことにする。 |
私が毎日新聞大阪本社で整理記者をしていた1981年夏ごろ、TBS-MBS系の当時の看板番組「ザ・ベストテン*1」の生中継が大阪本社で行われ、石川優子が編集局内を移動しながら歌ったことがあった。79年レコードデビュー*2の彼女が81年3月に自ら作詞作曲して出した7枚目のシングル「シンデレラサマー*3」が当たり、「ザ・ベストテン」では7週連続チャート入りした。その何週目かに毎日新聞社からの中継となったのである。 |
「ザ・ベストテン」は木曜午後9時スタートの生放送で、東京・赤坂のTBSスタジオに、その週の10位までの歌手を集め、生で歌声を聴かせるのが「原則」だが、スケジュールの都合で、国内各地(場合によっては海外も)からの中継で出演する歌手も多かった。 |
石川優子は当時ラジオの深夜番組「MBSヤングタウン」の木曜日担当レギュラーだったため、TBSのスタジオに行くことができず、「シンデレラサマー」はMBS毎日放送があった千里周辺や大阪からの中継となった。そのロケ先が毎日新聞社に回ってきたわけだ。 |
毎日新聞大阪本社は、1992年に西梅田に完成した新社屋に移転するまでは堂島*4にあり、81年当時の私たちの仕事場は築60年近い5階建の古いビルだった。エレベーターはビル竣工以来使われてきた手動式で、各階の床とフラットに止めるのに技術が必要な型式。金属製の折りたたみ式ドアは監獄のようだった。中継ではこのエレベーターに石川優子が乗るところも放映され、スタジオの黒柳徹子が「まあ、何てアンティークなエレベーター!」と感嘆?の声を上げた。私も含め、中継に立ち会った編集局の同人は思わず爆笑した。 |
さて、石川優子といえば84年の「チャゲ&飛鳥」のチャゲとのデュエット「ふたりの愛ランド*5」が忘れられない。この歌で今まで何人の若い女性*6とデュエットしたことか。 |
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