1995年から98年にかけて、J-POPSの世界は「小室哲哉ブーム」席捲された。小室はTRF、篠原涼子、内田有紀、華原朋美、dos*1、観月ありさ、安室奈美恵らダンスユニットやビジュアル系女性タレントにヒット曲を次々提供するとともに、95年にラッパーでフランス出身のマーク・パンサー、後に小室の妻となったKEIKOと3人のユニットglobeを結成*2、自ら「プレイングマネジャー」として「小室ブーム」を引っ張ったのである。 |
globeは95年8月にCDデビューし、9月、11月にも立て続けにシングルをリリースしてヒットさせ*3、96年1月に4枚目の「DEPARTURES」を「JR東日本SKI SKIキャンペーン」CMタイアップ曲*4として発売した。テレビCMでも頻繁に流れたこの曲が爆発的に売れて、シングル盤では歴代15位に入る通算230万枚の売上を達成した。さらに、3月発売のデビューアルバム「globe」は、アルバム史上初めて400万枚*5を売り上げた。 |
その後も98年までは次々ヒットが誕生、98年9〜10月には同年のレコード大賞受賞曲となった「wanna Be A Dreammaker」を皮切りにシングルを4連発、オリコンベスト10に4曲同時チャートインという記録を作った。このころがブームのピークだったようだ。 |
私生活では「小室ファミリー」といわれた多くの女性タレントと浮名を流し*6、元dosのASAMI(吉田麻美)と01年5月に再婚したが10カ月で破局、離婚直後の02年11月にglobeのKEIKOと3度目の結婚をした*7。しかし小室ブームは終わっており、ASAMIへの慰謝料などで巨額の借金を抱えた小室は著作権の二重売りなどの詐欺容疑で逮捕・起訴され有罪判決*8を受けた。さらに、小室を支えてきたKEIKOが11年10月にクモ膜下出血で倒れて長期療養を余儀なくされ、いわば踏んだり蹴ったりの状況に追い込まれた。 |
話は戻ってglobe最大のヒット「DEPARTURES」である。小室は「ピアノに座った途端に曲のイントロが浮かんだ」と語っているようだ*9が、このイントロというか冒頭部はユーミンの「卒業写真」そっくりのような気がする。それなら「浮かぶ」のは当たり前だ。 |
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