明日  I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役



惰学記




Hi-Hi-Hi

 女性アイドルなら相当遡っても詳しい私だが、男性アイドルとなると、SMAP、TOKIO、KinKi Kidsは分かってもV6となると怪しい。「関ジャニ∞」「KAT−TUN」「Hey! Say! JUMP」「NEWS」はさっぱりだし、今をときめく「嵐」のメンバーも正確には知らない。当たり前といえば当たり前だが、特に女性読者は「女性アイドルの話ばかり読まされてもなあ」とご不満かもしれない。そこで今回は「元祖ジャニーズ」にまつわる話を書く。
 男性アイドル専門のプロダクションであるジャニーズ事務所を知らない人は今やいないが、事務所名の由来を正確に知っている人は少ない。実は1962年結成の日大芸術学部出身男性アイドルグループに、社長のジャニー喜多川*1が自分の名前を取って「ジャニーズ」とつけたことに始まる。このグループが人気になって、当時「名無し」だった事務所が「ジャニーズの事務所」と呼ばれるようになり、それがそのまま事務所名になったのである*2。
 元祖ジャニーズは1946〜48年生まれの真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、あおい輝彦の4人。62年8月からNHKの「夢で逢いましょう」に出演し、64年に「若い涙」でレコードデビュー、「太陽のあいつ」や競作の「涙くんさよなら」がヒットした。66年夏からダンス修行のため約半年間渡米、帰国後もミュージカルなどで活躍したが、彼らのバックダンサーだったフォーリーブス*3が台頭し、押し出されるような形で69年末に解散した。
 4人のうち*4、あおい輝彦は俳優としてTVドラマ「二人の世界」「おやじ太鼓」、アニメ「あしたのジョー」の声などで活躍、「水戸黄門」では12年間も助さん*5を演じ、主題歌「あゝ人生に涙あり」も歌った。歌手としては「あなただけを」(76年)、「センチメンタルカーニバル」(77年)、表題の「Hi-Hi-Hi*6」(同)などのヒット曲もあって、長く人気を保った。もちろん、このタイトルは「ひひひ」ではなく「ハイ ハイ ハイ」と読む。
 
*1 ジャニー喜多川(1931〜)は米国ロサンゼルス生まれ。太平洋戦争中の日系人強制収容でカリフォルニア州内に抑留されたが、1942年の日米交換船で帰国し、両親の故郷である和歌山市に住んだ。しかし45年7月9日の和歌山大空襲で焼け出され、敗戦後再び米国に戻った。1950年、美空ひばりの米国公演の手伝いをして、ひばりと親しくなり、日本の芸能界進出への足がかりを得た。52年に来日、上智大国際部に進学し、在学中に芸能活動を始めた。(以上ウィキペディアによる)。
*2 もっと正確にいえば、ジャニー喜多川が52年に再来日した後、当時住んでいたワシントンハイツ周辺の少年たちを集めて野球チームを結成、チーム名を「ジャニーズ」としたのが始まりで、「元祖ジャニーズ」の4人はそのチームのメンバーだったという。これもウィキペディアから得た知識だ。ジャニーズ事務所から生まれたスターは本文に書いたグループ以外にも、郷ひろみ、田原俊彦、近藤真彦、野村義男、少年隊、光GENJI、シブがき隊など枚挙にいとまがない。
*3 フォーリーブスは67年4月にジャニーズのバックダンサーとして結成された。最初のメンバーは江木俊夫、北公次、おりも政夫、永田英二の4人で、ユニット名はなく、「ジャニーズJr」のメンバーという扱いだった。8月にフォーリーブスと名付けられ、10月に小学生だった永田が外れ、青山孝が参加した。このころから急激に人気が上昇、テレビにレギュラー出演するようになって、翌年9月に「オリビアの調べ」でレコードデビュー、70年にはブロマイド売り上げ1位になった。しかし大ヒットに恵まれなかったこともあり、70年代半ばからは郷ひろみら新御三家に人気を奪われ、78年8月末に解散した。
*4 あおい輝彦以外のメンバーでは、飯野おさみが劇団四季に所属し一時ミュージカルスターとして活躍した。リーダーだった真家ひろみは一時ワイドショーの司会などをしていたが、後にタクシー運転手に転身して話題になり、2000年3月に心筋梗塞で死去、享年53歳だった。中谷良は89年に暴露本「ジャニーズの逆襲」を出したのが話題になった程度で、目立った活躍はしていない。
*5 あおい輝彦は「水戸黄門」に、杉良太郎、里見幸太郎に次ぐ3代目の助さん役として88年9月開始の第18部から00年11月終了の第28部まで出演した。その間、格さんは伊吹五郎がずっと務め(伊吹は14部から28部まで)、黄門は西村晃が21部まで(14部から)、22部から28部までは佐野浅夫だった。
*6 Hi-Hi-Hiは森雪之丞作詞作曲の軽快な曲である。77年3月5日にリリースされ、シングルチャートの7位まで上がった。
 



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