明日  I will support Ohashi For tomorrow. 大橋健一
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市民が主役



惰学記




King Of Clowns(悲しきクラウン)

 中学時代はアメリカンポップスが大流行していた。エルビス・プレスリーが兵役に就いていた1958年〜60年という時期にまずポール・アンカ*1が売り出し、次に頭角を現したのがニール・セダカだった。男性の声とは思えないような高音が印象的だったニール・セダカは、シンガー・ソングライターの先駆けでもある。「恋の日記」「おお!キャロル」「星へのきざはし」「カレンダー・ガール」「すてきな16才」「小さい悪魔」「悲しきクラウン」、そして94年にクールファイブがカバーした「恋さぐり夢さぐり*2」という演歌の原曲である「きみこそすべて」など、彼のヒット曲のほとんどに加え、当時全盛だった女性歌手コニー・フランシスの「間抜けなキューピット」や「ボーイハント」も彼の作曲*3である。
 「悲しきクラウン」は1962年リリースで、他の多くの作品と同様、ハイスクール時代の旧友であるハワード・グリーンフィールドの詞にニール・セダカが曲をつけたものだ。日本では、日テレ系のホイホイ・ミュージックスクールの司会をしていた時代の木の実ナナが歌っていたのが印象に残っているが、伊東ゆかりやザ・ピーナッツもカバーしていた。
 当時高校1年生だった私は「キング オブ クラウン」のクラウンを王冠(crown)のことだと勘違いしていたが、もちろんピエロとか道化役者を意味する「clown」のことで、愛する女性に去られ、涙を隠してピエロを演じている自分を「道化の王様」と自嘲気味に言っているという男心を歌った失恋ソングで、サワリ部分の「Ta la la la … Ta la la la  Here I comes the king of clowns」が「タララララー ラライライ タララララー ラライライ(Here I comes the king of clowns)」と聞こえ、当時失恋中だった私の胸に響いた。
 さて、「悲しきクラウン」まで順風満帆だったニール・セダカだが、63年以後一気に失速する。62年10月に英国でデビューしたビートルズの「旋風」に吹っ飛ばされた感じだ。
 
*1 ポール・アンカは1941年7月生まれで39年3月生まれのニール・セダカより2歳下だが、デビューは57年で早い。ニール・セダカと同じく草創期のシンガー・ソングライターで、「ダイアナ」「君は我が運命」「ロンリーボーイ」「マイ・ホームタウン」「電話でキッス」など自身の曲を作詞作曲したほか、フランク・シナトラに「マイ・ウェイ」、トム・ジョーンズに「シーズ・ア・レイディ」、アルマ・コーガンに「恋の汽車ポッポ」を提供した。また、ノルマンディー上陸作戦を描いた米映画「史上最大の作戦」のテーマ曲「The longest day」を作り、自身でも歌うとともに、映画にもチョイ役で出演した。
*2 「きみこそすべて」は原題「You Mean Everything to Me」。「恋さぐり夢さぐり」は、まだ新聞社にいた当時、カラオケで歌われているのを初めて聞いて、「あれっ?これニール・セダカじゃないか」とびっくりして調べたことがある。その時は日本語の曲名が分からず苦労したが、前川清の曲とクールファイブの曲を片っ端からチェックしてやっと見つけた。このコラムを書くに当たってニール・セダカに関する事柄をインターネットで探したら、クールファイブが「君こそすべて」をカバーした話はいくつもヒッとした。当時は調べ方を間違えたようだ。
*3 だが日本でのニール・セダカ最大のヒットとなった1960年の「恋の片道切符」は自作ではなく、当時のヒット曲の題名を並べた歌詞で、「おお!キャロル」のB面に収められたお手軽な曲であり、米国では全く知られていない。



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